みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

みおしえと証しに尋ねよ

2019年09月18日 | イザヤ書

イザヤ書 8章

 火曜日のドイツ語の時間。久しぶりにクラスの仲間に会いました。仕事に就くためにドイツ語を学んでいます。とてもがんばっている様子が伝わってきます。

 7章と8章の「インマヌエル(神は私たちとともにおられる)預言」には、イザヤの子どもたちの名前が意味を持っています。それにしても、「分捕りものはすばやく、獲物はさっと…」という意味の名前がつくとは、預言者は自分の生活によっても神のことばを伝えるということなのです。

 神はイザヤによって、インマヌエル(神は私たちとともにおられる)という鍵語をもって、アハズにご自分に頼るようにと語っておられます。けれどもアハズ王は、神に頼らずにアッシリアに頼るいう思いを変えることはありませんでした。そこで神は、「あなたが頼りにするアッシリアがあなたの国に攻め入り、略奪する」ということばをアハズに伝えるのです。

 難局に際して、人は自分の知恵による情勢の判断、手にしている力に頼って、進むべき道を決めて行きます。アハズ王もイザヤのことばには耳を傾けません。預言者イザヤの心境は如何に…ということでしょうか。イザヤの思いを知る神は、イザヤをご自分の強い御手で捕らえて、この民の流れに引きずられないようにと戒めておられます。11節以下からは、神のことばを託された者すべてに通じる神からの支えを覚えます。周りのすべてが流されても、あなたは主を聖なる者とし、恐れるようにとの促し。そして、そのものとともに主はおられる(インマヌエル)と約束しておられるのです。

 20節の「ただ、みおしえと証しに尋ねなければならない。もし、このことばにしたがって語らないなら、その人に夜明けはない」とは、決して大げさでなく肝に銘じるべきことばです。


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