みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

時代に語る神

2019年09月11日 | イザヤ書

イザヤ書 1章

 昨日書いたように、12月号の編集をしています。きょうから始まるイザヤ書の通読は、途中ほかの聖書を読みながら進みますので、12月号まで続きます。「みことばの光」9月号の「イザヤ書を読む前に」は、イザヤが紀元前8世紀中頃から7世紀初めにかけておよそ50年以上預言者として活動したと書いています。

 この書の初めに、「これは彼がユダとエルサレムについて、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たものである」とあります。神は南王国ユダのこれらの王の時代に、イザヤに幻を見せてくださいました。幻といっても、「夢か幻か…」というようなはかないものではありません。神が預言者に与えられた「啓示」を指しています。「見た」というのですから、イザヤの視覚に訴えるようにして啓示をお与えになったのです。

 そしてそれは、イザヤが自分の心に秘め置くためのものではありませんでした。彼は自分が見た神からの幻をその時代に語るのです。「今の世はどうですか? 良い時代ですか、悪い時代ですか…」と尋ねられたら、人はどのように答えるでしょうか。栄え成功している人は「良い時代」だと答え、反対に貧しさに甘んじている人は「ひどい時代」だと答えるかもしれませんね。

 ここには、いや、聖書には、神はそれぞれの時代をどのように見るのかが書いてあります。その視点にはぶれがありません。公正に見ます。そればかりか、その時代に正しい判断を下します。政治的に力を持ち、経済的に栄え、熱心な宗教行事がなされているからと自己満足をしている者たちの、その者たちも気づかない本当の姿を見、語るのです。

 今から2700−2800年も昔のことばを読むことにはどんな意味があるのだろうか、とイザヤ書を目の前にして考えます。人の本質は変わることなく、神がそれをどのように見、考え、判断するかは変わらないからです。今も、神は見て、語るのです。 

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