みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ひざまずいて礼拝した

2019年01月05日 | 出エジプト記

出エジプト記 4章18−31節

 風邪も、ちょっと快方に向かいつつあります。何もしないで寝ているのがよいと聞いていますので、そのとおりにしていました。何もしないって、大切なことなのですね。

 ミディアンの地で40年暮らしたモーセは、神からの使命を帯びファラオと対峙するためにエジプトに行こうとしています。この箇所には、モーセの他にいろいろな人物が登場します。モーセのしゅうとイテロは「安心して行きなさい」と言って、送り出します。けれども、イテロのことばでモーセが動いたのではなくて、主が「さあ、エジプトに帰れ」とのことばによったのです。

 神がモーセを殺そうとするという不思議な出来事も起こります。神の使者として神のわざを始めるのに、モーセが割礼を受けていないことが理由であったようです。この時ツィポラはモーセにではなく息子に割礼を授けて、切り取った陽皮をモーセの両足に付けます。ツィポラはなぜ、殺されようとするモーセにではなくて、息子に割礼を授けたのでしょうか。成人の割礼は大きな痛みを伴うもので。エジプトへの道を急ぐモーセには施さなかったツィポラの機転ゆえのことだったかもしれません。

 そして、神がモーセのために備えてくださった兄アロンとの出会いです。モーセに代わってアロンが話し、アロンが行うしるしに人々は信じるのです。最後の「ひざまずいて礼拝した」ということばに、この時イスラエルの民が、モーセを、そしてアロンを自分たちの指導者として受け入れたことが伝わってきます。

 人と人とのやりとりの背後に神がおられることを覚えることの肝要さを「ひざまずいて礼拝した」ということばから覚えます。


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