みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

忍耐する神

2018年07月18日 | 士師記

士師記 3章

 昨日は北に100㎞ほどのマールブルクを訪ねました。旧市街は山の上に城があり、中腹にマルクト(広場)があるという坂の町。木組みの美しい町が坂道に連なります。グリム兄弟が学んだマールブルク大学は、現存するプロテスタント大学としては最古の歴史を持ちます。私たちにとっては四度目の訪問でしたが、その都度新しい発見があって飽きません。もう一つの町を訪ねる計画でしたが、結局この町だけで目一杯。欲張ってはいけませんね。

 士師記ではこの章から士師たちが登場します。3章に登場するのはオテニエル、エフデ、そしてシャムガル。士師記には、イスラエルの民の背信⇒神のさばき⇒イスラエルの叫び⇒さばきつかさによる救いとの繰り返しが見られます。オテニエルが登場するときもエフデが登場するときにもあります。

 イスラエルの人々は自分たちの神を忘れて、バアルやアシェラに仕えていたのです。それならば、アラム・ナハライムの王によって苦しめられたときも、モアブの王エグロンに苦しめられたときも、自分たちが頼りにしているバアルやアシェラに願えばよいはずです。なぜ彼らは、主に叫び求めたのだろうかと考えるのです。彼らは、自分たちが苦しめられるのは主の怒りによるものだと気づいたのかもしれません。そこで主の怒りを治めてもらいたいとして願ったのでしょうか。

 主はこのような場合に、「わたしを捨ててバアルやアシェラに仕えているのだから、バアルやアシェラに願え、わたしは知らない」となさらずに、救助者オテニエル、エフデを送ってくださったのです。ほんとうに驚くような対応です。新約聖書ローマ人への手紙には、神が忍耐の神であると繰り返し書かれています。神の忍耐とはどれほど大きなものなのでしょう。そして、神の忍耐によって今の私がこのようにあるのです。


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