みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

破れ口に立つのは…

2017年09月25日 | エゼキエル書

エゼキエル書 22章17−31節

 3年半の間いっしょに礼拝してきた方が今週帰任します。2か月いっしょに礼拝してきた方々も日本に戻ります。これが、国外にある日本語教会の姿だとは理解しているつもりですが、別れは寂しいですね。ありがとうございました。飛び立つ一人一人に神の祝福がありますように…。こんなことを書いていましたら、突然、3月に帰国した方がわが家を訪ねてくださいました。半年ぶりの再会です。嬉しかったです。

 神がエゼキエルによってこれを語っているのは、エルサレムがバビロンによって滅ぼされるほんの少し前のことだと考えられています。もう、後戻りの効かないところまできてしまいました。神に背を向け、戒めを破ってまでも手に入れた繁栄、富をエルサレムは奪われようとしているのです。

 しかし、エルサレムに差し迫っている崩壊の危機に耳を傾けようとする者はほとんどいません。人を教え、導く立場にある者たちが率先して蓄財に走っており、事態を憂えて民に言うべきことを伝えるはずの預言者も、民の罪を神にとりなすはずの祭司も役に立ちません。神は「破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった」と言っておられます。

 イエス・キリストは罪人と神との間に立ってくださり、罪の贖いを成し遂げてくださいました。破れ口に立って修理してくださったのです。そして、キリストを信じる者も破れ口を修理するために、この世界に遣わされ、置かれているのです。どのように生き、何を語り、何をなすことなのでしょう。

 みんなが「右だ」と声を荒げているとき、「そうではないかもしれない」と声を出すようなことも一つのことなのかもしれません。


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