みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

みことばを思い出した

2015年10月31日 | ルカの福音書

ルカの福音書 24章1−12節

 午後、近くの公園を歩きました。今回はほぼ一周。紅葉をいつまでも見ていたいので、普段よりも長く歩きました。あまりの美しさにカメラを向けますが、なかなか自分が見たとおりには写してくれません。

 きょうは何の日? と聞かれて、ハロウィンと答える人が多いのはまことに残念なこと。「宗教改革記念日」です。ルターがヴィッテンベルクの城教会の扉に95条からなる提題を掲げたと言われるのがこの日です。

 主が十字架上で息を引き取られた金曜日の様子はきょうの箇所のすぐ前に記されています。改めて思うのは、「女たち」の行動力です。彼女たちはガリラヤからイエスについて来て、十字架上での主の最後を遠く離れて立って見ていました(23章49節)。アリマタヤのヨセフが主のからだを墓に納める様子を見届けました(同55節)。そして、香料と香油を用意したのです(同56節)。日曜日の明け方、彼女たちは準備して置いた香料を持って墓に着きました。

 でも、きのうも書いたように、彼女たちがどれほど行動的だったとしても、お亡くなりになった主を覚えてのことでした。神はそんな彼女たちに、空の墓を見るという「特権」をお与えになりました。そして、主のよみがえりを知らせるという「役割」をお与えになりました。

 心に留めた一言は「女たちはイエスのみことばを思い出した」です。目の前に起こる出来事の大きさゆえに、みことばをどこかに追いやってしまっている自分がいます。みことばには力があり、その約束は間違いがないのに、脇に置いている…。そのようなことが多いのではないだろうかと、問われます。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki