エレミヤ書 26章
きょうから日曜日まで教会の修養会。南ドイツのにあるキリスト教の研修施設で行います。この修養会にはスイスにある姉妹教会の方なども参加して、きっと素晴らしい三日間になることでしょう。久しぶりのロングドライブが楽しみです。でも、「飛ばし屋」にならないようにしなければ…。
エレミヤ書は、きょうから新しい区切りに入りました。「みことばの光」を用いておられる方は「エレミヤ書26−33章を読む前に」をお読みになってください。新しい区切りといっても神がエレミヤによって厳しいことばを民に語っておられるということは変わりません。ここでは、エレミヤが神のことばを語ったためにそれを快く思わない王や、祭司、そして偽りの預言者たちによって逮捕され、殺されそうになるということなのです。
26章にある出来事が歴史的には25章よりも前に起こったとしたら、エレミヤは殺害の危機を潜り抜けてなお、神のことばを語り続けたということになります。この力はどこから…?
きょうは「私はあなたがたの手の中にあります」というエレミヤのことばを心に留めました。私は語れと神がおっしゃったことを語ったのだから、それで殺そうというのならばそうすればよいが、神のさばきを免れないとも言うのです。エレミヤの姿勢にむしろある人々はたじろいで、16節のようなことばが出てきたのかもしれません。
「私はあなたがたの手の中にあります」とは、「私は主の御手の中にあります」と確信ゆえの一言だった、のです。