みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私の熱心さを

2015年07月08日 | 列王記第二

列王記第二 10章1−17節

 エフーによる「アハブ家撲滅作戦」はとどまるところをしりません。サマリヤにいたアハブの子ども70人を殺し、さらに南王国のアハズヤ王の身内42人を殺すという徹底ぶりです。このような箇所を読むと、旧約聖書を読むことの難しさを覚えるかもしれません。人間中心の考えで言えば、「そこのところをもっと穏便に…」などと突っ込みを入れたくなるような場面です。けれども、「みことばの光」にあるように、人間の思いと神の御思いとの間の大きな違いのようなものがあるように思えます。

 考えてみますと、私たちの罪の贖いを成し遂げられた主イエスの十字架は、穏便などということとは全く違う道でした。「罪の支払う報酬は死」ということばの意味を改めて覚えるような、読むのがつらい箇所です。

 主からの使命を徹底的に行なうエフーには、ある主の高揚感のようなものがあったのかもしれません。しかし、そうであっても、「私の熱心さを見なさい」ということばには、「自分はこれだけのことをしたのだ、どうだ!」というようなエフーの気持ちが感じられます。

 神の使命に生きることができたときに、人はエフーほどではないにしても、自分を誇らしく思うことでしょうか。しかし、そのような時こそ高慢の罠がひたひたと…という時なのかもしれません。


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