みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

抜け道を設けず

2014年08月06日 | マタイの福音書
マタイの福音書23章15-26節


 きのうは「みことばの光」の編集を終えた後、登戸から三ノ輪へ。乗り換えの案内をしてくれるアプリで調べると、1回の乗り換えでよいことがわかりました。便利。ついでにスムーズに乗り換えるために地下鉄が提供しているアプリで調べると、乗っている車両がベストだということがわかりました。便利。
 でも、自分であれこれ考えたりしなくてもよい分、どこか物足りなさも感じてしまいます。まあ、こんなに暑いのだから(きのうの当地は38.8度でした!)あんまり難しいことを考えなくても…。

 主イエスの「わざわいだ」との叱責が続きます。
 これらを読むと、一方では「ひどいことだ」と思いながらも、「みことばの光」が書くように、同じ間違いに陥りやすい自分を見る思いがするのです。
 誓ったことを守れないのだから抜け道を設けるなどというのは、他人事ではありません。物事をすべて自分有利に運ぶようにするわけですね。他人の不始末については声を大にして非難しながらも、自分の罪についてはできるだけわからないように、仕方がなかったのだと言い訳をしてしまいます。

 罪についても直面せずに抜け道を設けて、人間の弱さや心の問題にしてしまうような雰囲気がキリスト信者たちの間にもあるのでは…、と自問自戒。向き合って自分を見つめて、内側を探られて、主イエスの十字架のご愛がわかるのですから、安易に「だいじょうぶ」だと逃げないようにしたいです。
 罪と死からの解放するための王道が設けられたのだから、「抜け道」はいらないのです。
   


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