みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

先生と呼ばれる

2014年08月05日 | マタイの福音書
マタイの福音書23章1-14節


 タイマーで停止したエアコン。やがて暑くなっていつの間にかスイッチをつけていました。寝苦しい夜でしたね。東日本は暑い日が続きますが、四国では豪雨です。きょうの当地は37度の予報。「ウッ!」と気合いを入れないと…。

 主イエスは、「わざわいだ」ということばの繰り返しとともに、パリサイ人、律法学者たちの偽善を厳しく指摘なさいます。「先生と呼ばれたりすることが好き」とのことばが響きます。

 牧師も周囲から「先生」と呼ばれることの多い立場。最初の頃はくすぐったいような恥ずかしいような思いでしたが、呼ばれ続けるといつしか「はまって」きます。月一度もたれる市内障がい者施設のミーティングでも、私が牧師だということを知ったある方が、いつしか「…先生」と呼ぶようになりました。すると、周りの方々はキョトン。
 
 もちろんここで主イエスがおっしゃるのは「先生」と呼ばれてはならないということではありません。そのように呼ばれる立場にあるものが、いつの間にか心高ぶらせ、自分の実力以上のものを求め誇るようになるのを警戒してのことです。私たちに師と呼ばれるにふさわしいお方は、主イエスおひとりであることを片時も忘れないように、それが高ぶりのわなから自らを守る道、ですね。



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