みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

殺されることはない

2014年06月06日 | サムエル記第一
サムエル記第一 19章


 わが家に咲いた十字架の花。Img_1944

 きのうは「ジュニみこ」(ジュニアみことばの光)のことで台東区三輪に行きましたが、次の予定がありましたので、とんぼ返り。…と書きながら、なぜ「とんぼ返り」というのだろうかと、ネットで調べてみました。
 《トンボが飛びながら、軽く身をひるがえして後ろへ戻るところから》 1 地面をけって、空中でからだを1回転させること。「床の上で―してみせる」 2 ある場所に行って用を済ませ、すぐに戻ってくること。「出張先から一日で―する」(大辞泉から) ちなみに、「トンボ帰り」と書くのは誤りだともありました。
 
 サウルはダビデを殺すと公言し、行動に移します。ヨナタンの説得を一度は聞き入れるのですが、ダビデを槍で突き刺そうとし、刺客をダビデの家に送ります。ところが、ヨナタンやミカルがダビデを守るのです。考えてみると不思議ですね。ヨナタンはサウルの息子、ミカルは娘です。

 ダビデはサムエルのもとに身を避けますが、ここにまで刺客は追ってきます。ところがここでは、ダビデ殺害を企てる者たちが三度も神の霊によって預言し、ダビデ殺害を果たせません。業を煮やしたのでしょうか、サウル自らがダビデを殺そうとサムエルの所に行くのですが、彼もまた神の霊によって預言することになってしまうのです。

 サウルはヨナタンの説得に「主は生きておられる。あれは殺されることはない」と誓います。ところが、その誓いの軽いこと。ヨナタンもダビデもサウルの誓いを信じるのですが、当のサウルはといえば、すぐに誓いのことばを忘れたかのようにダビデ殺害に燃えるのです。しかし、これは果たせません。殺意をたぎらせるサウル自身が「殺されることはない」といった軽い誓いが果たされるのですから、何という皮肉でしょうか。

 きょうという一日も、神の守りの御手が延べられることを感謝します。
     


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