みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

すべてのことを、福音のために

2011年08月29日 | 使徒の働き
使徒の働き21章17-26節


 8月最後の日曜日は、どのようにお過ごしになりましたか。はるか東(いや、西といってもいいのか!)、アメリカ東海岸はハリケーンアイリーンが直撃。激しい雨に打たれているマンハッタンの様子が映されていました。こんな北にまでハリケーンが来るなどというのは、温暖化の影響か…と思ってしまいます。マンハッタンに通じる鉄道に甚大な被害が生じていると報じられています。

 「みことばの光」では、日曜日から「使徒の働き」を読んでいます。21-28章には、「パウロ、エルサレムに。そしてローマへ」というタイトルがふさわしいでしょうか。
 大変なことが待ち構えていることが、本人に告げられ、周囲の人びとにも知らされていながらも、エルサレムに着いたパウロ。早速緊張の局面が訪れます。律法に熱心なキリスト者たちのパウロへの疑義を払拭するため、彼はヤコブを始めエルサレム教会の長老たちの勧めに従って、宮できよめの儀式を受けることになりました。

 「なぜパウロは柔軟なのかを」考えようというのが、「みことばの光」の終わりのことばです。参照聖句の1コリント9章19-23節を開いてみて考えてみました。
 「すべてのことを、福音のために…。」パウロ自身は律法の下にはいないのだけれども、律法の下にある人々をキリストのものとするためになら、律法の下にある者のようになった、と書いています。

 福音のためになら何でもする、どのようにでもなるといったら大げさでしょうか。いやそんなことはありません。一方で、パウロは福音がねじ曲げられようとすることについては、決して妥協することなく断固戦いました。

 柔軟さと妥協しない姿勢、しばしば混同してしまうのですね。


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