素晴らしき「日本」

地球上で一番古い国、伝統のある日本

国民は天皇の「おおみたから」である。

2017-08-16 18:21:27 | 日記
 昭和20月9月27日のことだと思う。

 敗戦国の国王となった昭和天皇は、敵将マッカーサーに会うために、アメリカ大使館公邸を訪れた。
 
 大使公邸の玄関で昭和天皇を出迎えたのは、マッカーサーではなく、わずか2人の副官だけだった。(白人は常に失礼だ。)

 マッカーサーに会った昭和天皇は、こう語ったと伝えられている。

「私が日本国の天皇であります。私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされ

たすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、

それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」

 この言葉に、マッカーサーは驚いた。彼は、昭和天皇が命乞いにくるのだろうと考えていたからだ。

 自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王が、世界の歴史上あっただろうか。

 マッカーサーはこの時の感動を、『回想記』にこう記している。

「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに、天皇に帰すべきではない責任

までも引受けようとされた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格において

も日本における最高の紳士である、と思った」

 この時マッカーサーは、次のように返答したという。

「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進

駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わ

ねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(藤田侍従長による『侍従長の回想』)

 マッカーサーは、立ち上がって昭和天皇の前へ進み、抱きつかんばかりに天皇の手を握りしめて、「私は、初めて神の如き帝王を見た」と述べた。

 わずか37分間の会見で、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は、まったく変わっていた。

 会見前は傲然とふん反りかえっているよな態度をとっていたマッカーサーが、会見後には昭和天皇のやや斜め後ろを歩くような敬虔で柔和な態度で、

会場から出て来たという。

  会見後、マッカーサーは予定を変更して、自ら昭和天皇を玄関まで見送った。

 当時、ソ連やアメリカ本国は「天皇を処刑すべきだ」と主張していたが、昭和天皇の態度に感動したマッカーサーは、これらの意見を退けて、自ら天

皇助命の先頭に立った。

 敗戦直後、廃墟と化した街で、人々は飢えに苦しんでいた。12月頃、昭和天皇は松村謙三農林大臣(当時)に、「多数の餓死者を出すようなことは

どうしても自分にはたえがたい」と述べられた。

 そして、皇室の御物の目録を農林大臣に渡され、「これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい。」と

おっしゃった。

 その後、幣原首相(当時)が、マッカーサーへ御物の目録を差し出すと、感激したマッカーサーは、「自分が現在の任務についている以上は、断じて

日本の国民の中に餓死者を出すようなことはさせぬ。かならず食糧を本国から移入する方法を講ずる」と請け合ったという。

 国民は天皇の「おおみたから」である。

 以上のことから日本国と天皇と国民の関係がすべて分かる。成果中にこんな国はない。
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