今日はベルリンの壁崩壊から20周年だということで、当時の映像がずっとテレビで流されている。1989年夏にちょうどパリ郊外フォンテンブローのINSEADに客員教授として招かれていた。今では信じられないが、当時は日本の企業経営が神格化され、日本的システムというものが絶対的な評価を得ていたのだ。
しかし、小生のほうは、実は連日のごとくキャンパスを抜け出して、パリに出かけて、各層の活動家と会っていた。この時期は実はフランス大革命200周年で、エッフェル塔に200のイルミネーションの字が浮き上がり、ヨーロッパの知識人は「自分たちの力で世界を変えるんだ」という気運が満ち満ちていた。社会主義体制の崩壊はもう秒読みで、8月19日には事実上、東西の壁を破ったハンガリーの「汎ヨーロッパ・ピクニック」(ピクニックにかこつけて、国境突破)が起こっていた。このことからも明らかなように、東西ドイツの壁を崩したのは、何より東欧諸国での脱社会主義体制の高まりだ。
ベルリンの壁が崩壊しても、皆が皆、新しい時代を確信していたわけではない。東側の国民の多くはまだ疑心暗鬼で、社会主義体制や警察国家のゆり戻しがくることをおそれていた。そうした環境の中から、将来、自由主義世界との架け橋となる学者やジャーナリストなどを一人一人、さまざまな研究会やシンポジウムに引っ張り出してきて、東欧諸国が二度と社会主義体制にもどらないように、総力をかけたものだった。そうした学者とペンタゴンの食堂でよく会食した。まさに本来あり得ない状況を、テーブルを囲んだ各人がそれぞれ一種のスリル、一種の恍惚感を感じて談笑していたのだろう。流れる映像を見ながら、そんな時代を思い出した。
日本では今日だけの単なる歴史のシーンだ。しかし、ヨーロッパでは、今日にむけてずっと長期間、さまざまな展示やイベントが開催され、自分たちが自由を獲得し、獲得させるためにどれだけの犠牲を払ったかを思い出させている。歴史を知ることの価値とはそういうものだ。
しかし、小生のほうは、実は連日のごとくキャンパスを抜け出して、パリに出かけて、各層の活動家と会っていた。この時期は実はフランス大革命200周年で、エッフェル塔に200のイルミネーションの字が浮き上がり、ヨーロッパの知識人は「自分たちの力で世界を変えるんだ」という気運が満ち満ちていた。社会主義体制の崩壊はもう秒読みで、8月19日には事実上、東西の壁を破ったハンガリーの「汎ヨーロッパ・ピクニック」(ピクニックにかこつけて、国境突破)が起こっていた。このことからも明らかなように、東西ドイツの壁を崩したのは、何より東欧諸国での脱社会主義体制の高まりだ。
ベルリンの壁が崩壊しても、皆が皆、新しい時代を確信していたわけではない。東側の国民の多くはまだ疑心暗鬼で、社会主義体制や警察国家のゆり戻しがくることをおそれていた。そうした環境の中から、将来、自由主義世界との架け橋となる学者やジャーナリストなどを一人一人、さまざまな研究会やシンポジウムに引っ張り出してきて、東欧諸国が二度と社会主義体制にもどらないように、総力をかけたものだった。そうした学者とペンタゴンの食堂でよく会食した。まさに本来あり得ない状況を、テーブルを囲んだ各人がそれぞれ一種のスリル、一種の恍惚感を感じて談笑していたのだろう。流れる映像を見ながら、そんな時代を思い出した。
日本では今日だけの単なる歴史のシーンだ。しかし、ヨーロッパでは、今日にむけてずっと長期間、さまざまな展示やイベントが開催され、自分たちが自由を獲得し、獲得させるためにどれだけの犠牲を払ったかを思い出させている。歴史を知ることの価値とはそういうものだ。
パリに招かれるような素晴らしい教授先生が、何故あれだけ子供じみたコンプレックス満載の故人中傷記事を書き、批判に耳ふさぐのでしょうか。
夢物語でしたね。
現地で当時の歴史を目撃された
先生のお話は実感がわきました。
幇間乙
貴方のそうした自己を省みず、目立ちたい一心での常に高みからの姿勢にみんな辟易としています。
富に最近、貴方の浅薄さが際立っています。
少なくとも、もはや貴方は尊敬される国会議員ではありません。
当時のニュースをみながら世界中で起きたある種の「変革」を感じていたのを思い出します。
あの時代に滅んでいったはずの社会主義が、今のこの時代の日本で復活しようとしているなんて、だれが想像したでしょうね…
今日もヒマだったんですね
首藤さんはそんな昔のことよりここ数週間の行状を思い返したほうが良かったのではないですかね
あのぉ…まだまだ炎上させたいのだろうか……としか読めないのだが。
誰かエロい人解説してちょ。出来るのであれば…orz
このお爺さんの昔話のどこに感銘したんですかね?