ここで言わせてください

過去や現在
おりまぜてます。

2022/01/17

2022-01-17 18:06:10 | 日記
その日の朝


ゴゴゴゴーと地鳴りがして


突き上げる様な衝撃があり


トランポリンの様な揺れの中


ガチャンガチャンと食器が割れる音を聞きながら


布団で頭を守っていた


揺れがおさまり


窓から見た町の景色は


いつもより建物たちが低くなり


あちこちからジリジリジリと鳴る非常ベルと


立体駐車場から落ちた車たちのクラクションが鳴り続けて


尋常では無い世界だった


他県ナンバーの消防車があちらこちらに現れたが


消火栓からは水が出ず
為す術もないようだった


救援物資と書かれた幕を張ったトラックが運んできたのは


水や食糧、毛布など

そして棺桶‥



皆で被災された方々を偲び
祈りましょう


根無し草 ㉘

2022-01-11 23:55:00 | 根無し草
15歳になった私は、生きている意味が見いだせない毎日を送っていた。


団地の5階のベランダからの夜景はとても綺麗だった。



小さい頃に眠れなくて泣いていたら、おばあちゃんが私を抱っこして、遠くの団地かマンションを指差して、
「きれいやね、お城みたいやね」
と話してくれた。


中学生になっても、その景色を見るのは大好きだった。


大げさではなく、何時間でも見ていられた。


夜中の2時でも3時でも
ずっと起きて見ていた。

夜更しをしてだらし無い生活を送っていた。


その頃には勉強が全く出来なくなっていた。


分からないのでは無く、分かろうとしなかった。


何に対しても無気力だった。


周りの子たちが進路希望を出す中、何の希望も無かった。


そもそもどんな高校がどこにあり、それを希望する?


全く意味が分からなかった。


中3の夏休みが終わる頃、私は又転校した。


突然の事だった。


根無し草 ㉗

2022-01-06 23:31:00 | 根無し草
父親の再婚相手の方はRさんと言った。


Rさんは父親よりも10歳年下で、頭の良い女性だった。


国立大学を出ていて、はきはきと話し、仕事が出来そうな人だった。


Rさんの父親は高校の校長先生をしていて、母親は家事を完璧にこなす専業主婦だった。



初婚だったRさんと父親は大きな結婚式をあげた。



かつて一緒に住んでいた叔母さん達、私、弟、おばあちゃんも出席しあちらの親族と顔を合わせた。



弟はRさんと何度か会っていたようだった。



すでに懐いていて、
Rさんの事を「おかあさん」と呼んでいた。



そう、私がかつて


弟を産んだおかあさんの事を
躊躇無く「おかあさん」と呼んだように。



8歳で、初めて「おかあさん」と口にした。



良かったね


可愛がってもらうんだよ。


私は、、


私はもう、その新しい家族の一員にはなれなかった。
なりたくも無かった。



完全に父親を憎しみの対象としていたから。


中学校の懇談には父親が来た。

一緒に住んで無いし、県の端から端の市だし、たった15分ほどの為に呼びたくないと言ったけど、先生はおばあちゃんは耳が聞こえないからダメだと言った。


酷い成績の私の頭を
父親は先生の前でも
平気で殴った。


私は父親を憎んでいた。

ノートに書きなぐるように始めたブログです

2022-01-05 18:41:09 | 日記
泥濘んだ道で
派手にコケて
剥き出しの膝を
打って擦りむいた


泥やゴミが傷口に沢山ついていて
水洗いもせず
そのまま絆創膏で塞いだ


何年も何十年も放置して
傷口はバイ菌で膿んでしまい
酷い痛みを伴った


滲出液で
何十年も貼り付いた絆創膏

それが
あるきっかけで剥がれ始め
いくら押さえても
粘着力は失われていて

もう全部剥がしてしまわなければならなかった


傷口と一体化した絆創膏

ゆっくりゆっくり
痛みに耐えながら剥がす

傷口は膿んで腐りかけていた

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2021年は
今まで放置していた傷口が露呈した
そんな年だった

2022年は
傷口を綺麗に洗い
薬も塗ろう