家庭環境が悪くなくなってから、忘れ物や宿題が出来ない事が多くなった。
家は物が乱雑に散らかり掃除もされず時が止まったようだった。
曾祖母も耳の聞こえない祖母も父親も私も幼い弟もその中で必死に生きていた。
おかあさんが居なくなったタウンハウスは、
山を切り拓いて造られたニュータウンにあった為、近隣の街からは車やバスでないと出入り出来なかった。
温かい家庭ならそういうのが、仕事や学校で疲れた身体を休めるのに好条件なのだろうが、うちのような家庭環境には不向きだった。
小学校、中学校、幼稚園、保育所、スーパーと市場、歯医者に外科内科、喫茶店、理容院、酒屋、思い出すだけでそれらが一軒ずつ街の中心にあるだけだっ
た。
眼科は無く、小1の時結膜炎になりバスで眼科に行った覚えがある。
坂の多い街で、他所の地域に比べて自転車の所有率は低かったのでは無いかな。
当然私も自転車なんて持っておらず、乗れるようになったのは大人になってからである。
年老いた二人のおばあちゃんは買い物も大変だっただろう。
二年間在籍した子ども会もやめ、習い事もできず、家族旅行も行かず、放課後友達とも遊ばず、
何をして生きていたんだろうね、
9歳から11歳のわたし。
余りにも辛かったのかその時のことは記憶にないんですよね、
もう過去の辛かった事を忘れて生きてはいけませんか?
前を向いて生きて欲しいと思いますよ~
普段の生活では何も思い出さないんですけど、ふとした時に心の奥深くがギューっと苦しくなります。
ここで書かせて貰って少しずつ楽になっています。
これからも良ければのぞいてくださいね🍀