食堂パート、5年前の話の続きです。
もう、辞めよう。
あと少し、頑張ろう。
の繰り返しの毎日だった。
そうこうしているうちに、ご飯や汁物、おかずの入ったバッカンを
いつの間にか一人で持ち上げられるようになっていた。
意地悪おばさん三人組が、
「あー腰痛い、肩痛い」
と三人がかりで持ち上げている間に、私は一人で体幹を意識しながらひょいと持ち上げた。
お汁を一人一人、手渡しするときに「お疲れ様です」といい
食事が終わるタイミングで、
洗い場に移り、下膳の時に
「お疲れ様です」と再び言う。
声も出すし、汗も流す。
良い運動になり、毎日良く眠れた。
辞めよう辞めようと思いながら
結局、2年近く働いた。
その間にピングー(息子)は、
第一志望の大学に合格した。
朝は私が先に出るので、お弁当だけ作り、それを持って何時に予備校に行っているか知らなかった。
心配症の私も、自分の事で精一杯で、
ピングーの受験に口出しする暇が無かったのが良かったのかも知れない。
受験に関する費用を稼ぐ
ミッション完了!
そのまま働き続けても良かったのだけど、給料の未払いが何回か出てきた。
シフト通りに給料は振り込まれ、急遽ピンチヒッターで出勤した時の給料が支払われ無かった。
責任者のKさんが何度も会社に取合ってくれたけど、支払われ無かった。
逆に、意地悪三人組が急に休んでも、かばい合ってシフト通りの給料が支払われていた。
アホらしくなった。
今なら、労基署へ申告する😤
あと、三人組がおかずやデザートを盗んでいた。
余り物では無く(余り物でもNG)
喫食前にジップロックに入れて自分のタオルに包んでいた。
それに気づいたのは、私が温蔵庫や冷蔵庫に近づくのを、嫌がる日があり、不思議に思い、気づかないふりをして観察していたら、提供するのとは別の皿に入れて奥の方へ隠していた。
そういう日は、三人組は
悪事の後ろめたさから、やたら優しく話しかけて来た。
多目に用意されているはずの、唐揚げや、トンカツが人数分カツカツの時があり、
そういう時の仕事上がりの三人組の汗ふきタオルは、
赤ちゃんでも抱くかのように、大切に胸の前で抱きしめられていた。
そういうのを、見るのも嫌だった。
ちょうど、飴屋さんの軽作業の募集があり、上手いこと仕事を変わることが出来た。
飴屋さんはいい人ばかりだったけど、動きの無い、時間が経つのが恐ろしく遅い、軽作業だった。
しんどい事もあったけど、食堂はスポーツみたいだったなぁ。
ジ・エンド。