昨年、令和3年の4月上旬
叔母さんから父親が入院したと連絡が入った。
1〜2週間位で退院出来ると。
自営でまだ仕事も現役でしていたし、入院する前日まで自分で運転して色々出かけていたそうだ。
弟に何年かぶりに電話をした。
「電話したら喜ぶよ」と言われ
父親にショートメールでメッセージを送った。
「良くなることを祈っています」
「ありがとう」
と返信が来た。
子ども達にそれぞれメッセージを送るように伝えた。
何て送って、何て返信が来たかは聞いていないが
ちゃんとしてくれただろう。
翌日「体調どうですか?」と送っても返信は来なかった。
最近の子ども達の写真を送ろうとしてもショートメッセージに貼り付ける事が出来なかった。
入院から8日目の朝、
弟から
お父さん今朝亡くなりました。
とLINEが入った。
私は酷い後悔の念と喪失感に襲われた。
憎しみの対象、、、
私が今こうして、
自分の人生を
自分で選択して生きている!
それを見せつけてやろうと躍起になっていた相手が居なくなった。
葬儀の時Rさんに30年ぶりに会った。
弟はRさんの事を「お母さん」と呼んでいた。
可愛らしい奥さんと大学生になった息子と高校生の娘の4人で、Rさんを手伝っていた。
私は娘だけ連れて葬儀に出た。
父親の姉に当たる伯母さんに、父親と連絡を取っていたのかと聞かれ、子ども達の節目にお祝いが振込まれていたことを伝えた。それは良かったねぇと伯母は言った。
いつも連絡をくれる叔母さんは、駅からの行きも帰りもずっと私に寄り添ってくれた。
父親と私の希薄な関係を知っている親戚たちは、何故私がそんなに泣くのか、不思議に思っただろう。
このやり場のない説明し難い感情を、どこかにぶつけたくて
このブログを始めた。
一年前の4月16日に。
傷口をさらけ出し直視する作業はきつかった。
出来るだけ正確にその時の状況や感情を思い出そうとして、過去に何度も傷付けられた。
何十年も自分に問いかけていた。
「生まれてきた意味はあるのか?」
考えに考え抜いた結論。
『人生は成就するものだ』
それが答えだった。
どれだけ苦しくても生きる、
生き抜いてやる。
〜〜〜〜〜〜〜〜
夫や、子供たちにも話してない事をブログには書いた。
私の育った環境を知っている人達は皆、神様の元へ戻って行った。
機能不全家族で育った私の過去を知っているのは、
私と、読んで下さった方だけの
秘密。
長い暗い話を読んで頂き
ありがとうございました。
おしまい。