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普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

花火

2010-07-26 13:33:50 | ひとりごと。
たそがれ、という言葉には、少しの不安とともに、なんともいえない懐かしさが入り交じっている。

小さかった頃、学校から帰ってくると、家の裏の路地でよく遊んだ。
近所には同じ学校の子供たちがたくさんいたので、なんとなくその路地に集まってきては、カン蹴りや影ふみ、なわとびなどをして、夕暮れまでのひと時を楽しく過ごした。

夏の4時や5時といってもまだ陽は高い。夢中になって遊んでいると、誰かのお母さんが「もうごはんだから」と呼びに来た。
それを潮に、一人、二人と帰っていく。通りすがりの人が「おじょうちゃん、おうちに帰らないと人さらいがくるよ」と声をかける。
私はどの人がいったい「人さらい」なのだろうと身を硬くして板塀に寄りかかりながら、帰宅の途につく人々を見送る。


昼間、人間の数だけあるそれぞれの思いがまだ燃え尽きないでいるような熱気を帯びた大気の中、ほこりっぽい路地裏にはいろいろな人が通って行った。
どの人の額にも玉になっている汗は、なまあたたかい夏の夜への期待のようなものと絡まりあい、小さく光っていた。
たまに吹いてくる弱い風に皆一瞬顔をあげると、誰の目にも、まだ暮れきらない西の空に茜色の千切れ雲が美しく浮かんでいるのが映っただろう。
猫が引っ掻いたような白い三日月や、その横に従う金星が昼間の終わりを告げるかのように輝きを増すと、私は家へ入る。
割烹着姿の母が、ぐつぐつとだしをとりながら、「お風呂にはいっといで」と言う。

その日は月遅れの七夕だ。毎年この日には、一つとなりの駅にある競馬場で花火大会が行われていた。
まだ回りに高い建物が何もなかったので、次から次へとあがる大きな花火がその路地からもよく見えたのだ。

七夕の日の夕飯は、機織りの糸になぞらえた五色そうめんと決まっていて、大きなガラス鉢に流れるように盛り付けられた白いそうめんの中に、緑、ピンク、黄色の色つきそうめんが鮮やかで嬉しくて、そればかり先にとってしまって叱られた。

昨日の晩はいろとりどりの短冊を作り、金色の折り紙で星をつくったり、折り紙にハサミで切り込みを入れ、網を広げたような天の川をつくってみたり短冊にあれこれと願い事を書いたりした。

そして大きい声で、「おほしさまきらきら、きんぎんつなご。」と歌ったら、母が大きい声で笑い、「それは、きんぎんすなご、ですよ。」と言った。
私は、笹の葉に金や銀の折り紙で飾りをつないでいく様子を思って歌っていた。
すなご、とはなんだかわからなかった。天の川の砂が金銀に光っている、という意味だと知ったのは、大人になってからであった。


風呂上りに着せてもらった浴衣の、赤い兵児帯を締め直して外へ出ると、近所の子供たちもシッカロールで顔や首すじを白くして浴衣で遊んでいた。
それぞれの家の開け放した縁側からは、かすかに蚊取り線香の匂いがしてきて、耳の遠いおばあさんのうちからはいつもテレビの音が大きく響いていた。

どこのうちの木戸にもそれぞれに笹の葉が立てかけてあった。母親たちもアッパッパとよばれる簡単服を着て、夕涼みと立ち話に余念がない。


あの頃は夜が暗くて、星がたくさん光っているのが見えた。はるか天空を白く流れる天の川まで見えたのだ。
短冊の願いごとを、「なんて書いた、ねえ、なんて書いたの」と見せっこしたり、よそのうちの笹の方がなぜだか美しく見えて、急に淋しいような気持ちになったりした。
そのうちに子供たちで線香花火が始まった。みなかわいらしい線香花火だったが、真剣に指でつまんで、ぱちぱちとはじける小さな火を額を寄せ合って見つめた。
小さな火の玉がポトリと落ちると、一瞬に夜空の暗さがせまってくるようで、もうひとつ、あと一回とせがんでは火をつけてもらった。


そのうちに、「始まったよ!」と誰かの声。
どどーん、という音とともに、あちこちから歓声があがる。すっかり暮れた夜空に大輪の花火が次々と打ち上げられる。
今度はみんなで、「うわぁ、うわぁ!」と声をあげ首が痛くなるほどずっと夜空を見上げていた。
父親たちも皆シャツにステテコでうちわを扇ぎながら集まってきた。
おむかいのおばさんが縁台にスイカを切って出してくれる。
スイカの種を男の子のようにぷっぷっといきおいよく吐き出しながら、大人と一緒になって「たまやあ」「かぎやあ」などと言うのが楽しかった。



はるか昔の目の底には、七夕の笹飾りと、みなで見上げた天の川や美しかった花火の音と光が残っている。
線香花火の可憐な炎がぱちぱちとはじけているのが見える。
夏の夕暮れ時に夜空を眺めると、昔会った誰彼がみな懐かしくて、どこでどうしているだろうか、と思う。
ずっと片思いだった人、別れてしまった人、好きだと言ってくれた人は今誰の隣にいるのだろうか。


もうすぐ、街の花火大会がある。
私は大人になったけれど小さい子供のように胸を打ち震わせ、花火を仰ぎ見るだろう。好きだった人を思い出し、夢中で駆け出していった恋心を胸に秘めて。

恋は遠い日の花火ではない というCMのコピーが好きだった。
「花火のような恋」をしていた頃が、いまとても懐かしい。
コメント (2)
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