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岸田劉生 麗子像について

2011-04-04 23:51:10 | 美術
岸田劉生 麗子像について。

昨日、八王子夢美術館での「岸田劉生の軌跡」展を書きましたが、麗子像について以前みたものとの関連など少し補足してみます。なにしろ麗子像は70点くらいあるそうで、みたものといってもほんの少しですけれど。 

  
2008年「揺らぐ近代」東京国立近代美術館にて        夢美術館で展示中のもの

左:麗子肖像「麗子五歳之像」大正7年(1918)東京国立近代美術館蔵

最初の麗子像とされるこの作品は大変写実的です。



左:2003年ウッドワン美術館所蔵「近代日本の絵画名品展」日本橋高島屋
  《毛糸肩掛けせる麗子肖像》大正9年(1920)
  この展覧会でゴッホの《農婦》をウッドワンが買ったのを特別出品していました。
  図録の表紙にはこの絵が使われていました。とても印象に残っています。

右:東京国立博物館所蔵の重文《麗子像》です。麗子微笑〈青果持テル)大正10年(1921)
  同じような感じの絵ですが、こちらはダ・ヴィンチの「モナリザ」にヒントを得たといわれます。


         
         《麗子像》大正11年〈1922〉石橋美術館蔵
 
このとき麗子は風邪を引いていて首に白い布を巻いていた。劉生はそれが気に入って《野原女》にも使ったのだそうです。


 
夢美術館展示中のもの   《野原女(のわらめ)》大正11年(1922)個人蔵
                 (2008年「揺らぐ近代」東京国立近代美術館にて)

これはどうみてもすごい絵ですね。始めてみたときはギョッとしましたが寒山拾得の絵からと知って、納得です。たしかに白い布は絵を引き立てているようです。


 
《麗子十六歳之像》この展示中の絵が劉生最後の絵の一枚とか、昭和4年(1929)の5月に描かれたもの。右の絵は《童女舞姿》大正13年(1924)のものでこのあとずい分絵が変わったのですね。

麗子像と一口に言ってもたくさんの技法や絵の変遷、次々にいろんな絵を生み出していった岸田劉生、また装丁や版画、日本画まで実に多彩で圧倒されました。
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