文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本語で演説することに独裁者のプライドが甚(いた)く傷つくからだ。

2018年03月25日 07時00分42秒 | 日記

戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は週刊新潮の掉尾を飾る連載コラムで、その本領を遺憾なく発揮している。

実に見事なものである。

習の征服願望

日本人が漢字を知ったのは遅くとも紀元1世紀、ゴルゴタの丘でイエスが磔にされたころと思われる。 

そのころ日本人は支那から「漢委奴国王」の金印を貰っている。 

いや違う。

日本人が最初に文字としての漢字を知ったのはその400年後。

百済から千字文が届いたときだとか馬鹿な学者は言う。 

それまで日本人は漢字を模様だと思っていた、とそういう学者は言う。

なぜなら「あらゆる文化は朝鮮から来た」と言いたいがためだ。

あそこはつい近代まで文化などなかった。 

漢字文化に初めて接した人たちはきっと眩しかったに違いない。

実際、朝鮮やベトナムは漢字に幻惑され、その虜になった。 

朝鮮人は自分たちの言葉すら捨てて漢字、漢語に走った。

筑波大の古田博司教授は「朝鮮古語は今80語も残っていない」と言う。 

ベトナム人も魅入られた。

漢字を愛し、本場の支那より難しい漢字を創った結果、文盲が増え、社会は停滞した。

後に鄧小平が「漢字には毒がある」と言ったが、それは正しい。 

ベトナムは幸いというか、仏領の植民地にされ、見苦しい漢字を捨てさせられた。

フランス人は代わりにローマ字を与えた。 

途端にベトナム人の精強さが蘇った。

宗主国フランスをディエンビエンフーで倒し、米国は10年戦って追い出し、最後に漢字中毒にした支那も中越紛争で叩きのめした。 

朝鮮はどうか。

北半分は漢字をやめて日本人から教えてもらった諺文(ハングル)に切り替えた。

結果、ミサイルや核兵器づくりでも贋金づくりでもいい仕事を始めた。 

昔ながらの南半分は橋を架ければ落ち、ビルを建てたら崩落し、船はひっくり返り、そのたびに蝋燭を灯して恨み節を唱える。

北とは大きな差ができた。 

日本人は彼らとは違った。

あの金印を見たとき漢字の毒を直感した。

そして日本の言葉や文化を傷つけない万葉仮名を発明するまで実に500年間、放ったらかしにした。 

その自信で例えば「杣」という新字も創った。

薪炭用に木を切ったら苗木を植える。

環境に優しい思想を持った言葉だ。 

その手法で西洋から民主主義とか新しい概念がきても即座に対応できた。 

日清戦争のあと多くの支那人が日本にきて日本語を学び、持ち帰った。 

支那語の学者王彬彬は言う。

「現代支那語の70%以上は日本から輸入した言葉だ。我々が毎日立派な論議を戦わすのも、瞑想にふけり思考するのも、東西世界を語るときに使う概念もほとんど日本人が創ったものだ。ここまで思い至ると鳥肌が立ってくる」 

ハンティントンは日本を支那文化圏とは別の独立した文化圏と言った。

宮脇淳子は一歩進めて「支那は今や日本文化圏に属する」と語る。 

支那の歴史はほぼ外来王朝が作ってきた。

支那は今、その繁殖力で巻き返しに出ている。

元を建てたモンゴルを併呑してその領土を奪い、清を建てた満州族を滅ぼして彼らの文化を支那文化と詐称する。 

乾隆帝など生粋の支那人に仕立て直され、満州服は今やチャイナドレスと言って憚らない。 

ただ支那を支配した中にまだ併呑できていない国が残っている。

日本だ。 

日本人にそんな意識はないけれど『フーバー回顧録』には「日本は1937年から華北、華中を侵略し」人民に千年知らなかった安らぎを与えたとある。 

日本は併呑すべき征服王朝と思われている。 

おまけに王彬彬の嘆きがある。

喋る言葉がほぼ日本語で、それなしでは支那人は思考もできない。

鳥肌が立つのもよく分かる。 

早く日本をやっつけたいそして満州服をチャイナドレスと呼ぶように今の日本語だらけの支那語を胸を張って「支那語」と呼べるようにしたい。 

独裁者習近平は尖閣に執心する。

友好の海にすればと馬鹿が言ったが、習は尖閣どころか日本を取る気だ。

日本語で演説することに独裁者のプライドが甚(いた)く傷つくからだ。


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