その県の中学校の1,2番が集まって来る進学校で、高校生時分から教師に指名されて、教師の代わりに教壇に立って講義を行った人間を私は仙台ニ高生だった私と福島高校生だった小室直樹の二人しか知らない。読者は本来学問を成す為に生まれて来た私がその通りに人生を送っていたならば小室直樹と全く同様の本を世に問うていただろうと確信するはずである。
第5章 日本国民に告ぐ
ー今も支配するマッカーサーの「日本人洗脳計画」
教科書を支配する「東京裁判史観」
第1章で平成九年度から使用の教科書に「従軍慰安婦」についての記述が含まれていることを指摘したが、歴史教科書の問題は、「従軍慰安婦」だけに留まらない。明治以降の近代日本に関する記述は自虐的、暗黒的、反日的な歴史観に染まっている。産経新聞(平成八年八月六日から十三日までの七回連載「子供たちはこんな教科書を使っている」)で紹介された「主な教科書の抜すい」の中から拾ってみよう。「日本は大陸支配の足場をきずいた。そして、このころから日本人のあいだに朝鮮人や中国人を見下す風潮がおこった」(清水書院) 「植民地統治下の朝鮮人、台湾人に対しては、日本式の姓を名のること(創氏改名)や神社への参拝が強制され、日本人に同化させようとする皇民化教育が進められた」(日本書籍)「東南アジアや太平洋の島々では、住民を『土民』とみなし、占領を批判する人々などを虐殺した」(教育出版)「日帝の侵略戦争に利用され……我が青・壮年たちが、強制的に徴用されて、鉱山や工場で酷使され…女子までもが侵略戦争の犠牲となった」(帝国書院)「戦後50年たった今日でもなお、日本の侵略の犠牲になった人々への憤いは、忘れてはならない課題である」(東京書籍)「従軍慰安婦だった人々、広島や長崎にいて原爆で被爆した人々、戦前日本領だった南樺太に終戦で残留させられた人々などがいます。日本のこれらの地域にたいする国家としての賠償は終わっていますが、現在、個人にたいしての謝罪と補償が求められています」(帝国書院) これだけ挙げておけば充分だろう。すべての歴史教科書が大東亜戦争を太平洋戦争と呼称し、しかもそれが「侵略戦争」だったと書いている。戦前の日本には「軍国主義」が蔓延っていたと書いている。第二次世界大戦が「全体主義と民主主義の戦い」であったと記述している。これは連合国が東京裁判で日本を裁いた歴史観そのものである。
戦前の日本は軍国主義か
東京裁判によって、戦前の日本は軍国主義国家であるという烙印を押された。では、軍国主義とは何か。もし、おりとあらゆる国家の総力を単げて戦争に集中することが軍国主義であるとすれば、アメリカは完全な軍国主義であった。日本は少しも軍国主義ではなかった。第二次世界大戦で使用された世界最強の武器を見てみても分かる。アメリカは原爆。ドイツはミサイルとジェット機。イギリスはレーダー。日本は零戦と大和。日本の場合はすでにあった技術を、最高の状態に改良しただけだ。新発見、新発明は何もない。だが、日本に有能な指導者、がいて、もっと早くから準備をすれば、ことによったらレーダーやVT信管(近接信管)、その他の電波兵器やソナーなどの音響兵器については、連合国に負けないような発明、発見がなされたかもしれない。これは可能性があった。実際に、ジェット機の設計、開発も進んでいた。戦前から用意しておけば、あるいは負けなかったかもしれない。しかしながら、社会科学の分野では、アメリカと日本では、天地の開きがあった。アメリカでは、総力戦に自然科学者だけでなく、社会科学者も動員した。有名な例が、ルース・ベネディクト(社会人類学者)の『菊と刀』日本人論が書かれているが、もともとは対日戦争のための研究だった。
敵国・日本とはどんな国か、日本人とは何かを、社会人類学的に研究させたのが『菊と刀』。これはほんの一例である。アメリカは厖大な日本人研究を行っていた。
アメリカは日本の報復戦を恐れていた
ところが、日本には社会科学を戦争目的に利用するという発想すらなかった。アメリカとは、どういう国か。アメリカ人とは、どういう人間であるのか。日本はどうアメリカと戦えばいいのか、という社会学的、心理学的、政治学的研究を、まったくやっていない。詳細は拙著『大東亜戦争ここに甦る』(クレスト社)に譲るが、こんな国家を軍国主義国家と呼ぶことなど、とうていできないのである。もし、日本がアメリカ研究をやっていたら、大東亜戦争の戦局はずいぶん違ったはずだ。ルーズベルトは、大統領選挙の際「星条旗が正面から攻撃されないかぎり、絶対に戦争しない」と公約し、大統領になった。アメリカの大統領は選挙公約を守らなければならない。日本人がこのことを理解し、このルースベルトの公約を戦争目的に利用するという第一級の戦略発想があれば、真珠湾攻撃という選択肢を選ぶことはなかったであろう。ABCD包囲網で石油をストップすれば日米戦争になるとアメリカの市民に直接、訴えかけることもできた。真珠湾など攻撃せず、蘭印(オランダ領インドシナ、現在のインドネシア)を攻略し、オランダ・イギリスとだけ戦えば、日本は勝てたにちがいない。
実際、インパール作戦を例外とすれば、日本軍はイギリス軍に全勝だった(詳しくは前掲拙著参照)。
ところが、日本人はアメリカの政治を知らなかった。選挙公約の意味すら知らなかった。現代の総理大臣すら知らないのだから、当時の日本人は皆、知らなかった。戦前の日本の政治家には、軍人や華族も多かった。貴族院議員のうち、皇族と公爵・侯爵は選挙すらない。伯爵・子爵・男爵は互選である。軍人にも選挙はない。犬養(毅)内閣より後の首相は、軍人か貴族だった。たとえば開戦前の内閣を遡ると、近衛文麿、米内光政、阿部信行、平沼騏一郎と、みな選挙を経ずして政治家となった総理大臣だった。だから、選挙公約の意味など知らなかっかのである。日本人研究とともに、アメリカが総力を挙げて取り組んだのが、歴史研究であった。アメリカは徹底した歴史研究、戦史研究を行なった。そこで得た教訓が「日本に対米報復戦を起こさせてはならない」ということだった。近代戦とは復讐戦である。一八〇六年、ナポレオンがイェナ(旧東独の南西部の都市)でプロイセン軍を撃滅したのち、プロイセン人は復讐の鬼となった。フランスが普仏戦争(一八七0~七一年)に負けると、フランスは復讐の鬼になった。第一次世界大戦でドイツが負けると、今度はドイツが復讐の鬼になり、ヒトラーが天下を取ると、ヴェルサイユ条約を蹴っ飛ばせということになった。近代史に学んだアメリカ。その占領政策の第一目的は、日本に対米報復戦をやらせないということだった。
アメリカ軍は、太平洋戦争で日本軍があまりにも強いのでびっくりした。日本本土に侵攻したらアメリカの青年は100万人も死ぬにちがいないとアメリカは計算した。こんなことはもうまっぴらだと、アメリカはおもった。だから、占領軍が日本を武装解除するのは当然で、なんと刀狩りまでやった。「一九四五年九月二日、GHQは『指令第一号』を出し、関東、東海地区の民家にあった刀剣類を武器とみなして東京・赤羽の米第八軍兵器補給廠に集めた(平成七年十一月一日付朝日新聞夕刊)占領軍は、日本の対米報復戦を恐れていた。刀は、実戦の効力がなくても、シンボルとして意味があると思っていた。だから、刀なんか持たせておいたら、ジェロニモみたいにいつ反乱を起こすか分からない、というわけだ。占領直後は、柔道も剣道も、学校の授業で禁じたりした。
マッカーサーを”救世主”と称えた国会決議
ところが、日本人は、マッカーサー率いる占領軍を征服者としてではなく、解放者として迎えた。昭和二十六年四月十六日、衆参両院は、「マッカーサー元帥に対する感謝決議」を行い、マッカーサーを「悩める敗戦国民に対する救世主」と称え、「わが国独立の機運を促進したる偉大な業績は、国民挙げて感激措く能わざるところ」と絶賛したのである。マスコミも、「感謝」一色であった。この問の事情については高橋史朗著『検証・戦後教育(広池学園出版部)に詳しいが、そこで引用されている毎日新聞の記事が頗る傑作である。「ああマッカーサー元帥、日本を混迷と飢餓から救いあげてくれた元帥、元帥! その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのを御覧になりましたか。今年もみのりは豊かでしょう。それはみな元帥の五年八ヵ月にわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感謝のしるしでもあるのです。元帥! 日本はどうやら一人歩きが出来るようになりました。何とお礼をいっていいか。元帥! どうかお体をお大事に」(昭和二十六年四月十七日付夕刊)まるで、どこかの新興宗教の機関紙が教主を称える文章のようだが、これが日本三大紙の一つに載ったのである。
国民の多くもマッカーサーを「偉大なる大聖人」「永久の救世主」「自由公平の使者」「尊敬の的たる人格者」「天使」「女子学生のあこがれの的」などと最大限の賛辞を贈った高(高橋前掲書参照)。
戦後五〇年を経た平成の世にも、マッカーサーの記念俾が建つ始末である(「フライデー平成七年九月八日号)
しかしマッカーサーは、日本人が「救世主」と崇めたような「人格者」でも「大聖人」でもなかった。たしかに、頭はよかった。米陸軍士官学校を首席で卒業。在学中の平均点が九八点以上という空前絶後の成績だった。これは母親の教育のなせる業(わざ)たった。マッカーサーの母親は息子の行く先々に付いて「孟母三遷」を牒り返した。マッカーサー家は、つねに最高の教育環境を求めて転居した。
だが、マッカーサーはただの偏差値秀才だった。そして、いわゆるマザコンだった。けっして「人格者」ではなかった。
児島襄著『指揮官・下』(文春文庫)によれば、部下はマッカーサーを当てこする歌まで唄っていた。児島氏はこの歌を「名利と安全を土台に超然とするエリート意識のくさみに対する反発をみなぎらせている。中傷というべきかもしれないが、ほかならぬ部下の間から、その種の中傷を招くのは指揮官としては欠格者と判定されかねないだろう」と評している。戦後日本に偏差値秀才が蔓延ったのはマッカーサーが偏差値秀才だったからだ、と言えば言いすぎか。いずれにせよ、マッカーサーの占領政策はものの見事に大成功。日本の世論は「鬼畜米英」から「日米親善」へと一八〇度の大転換を遂げたのであった。
日本人を骨抜きにした「洗脳計画」
前章で触れたとおり、ペリー・ショックによって解体された日本人の人格は、大日本帝国の中に再建された。その結果、「結局ペリーはよかった」という複合体が成立した。このペリーがマッカーサーと二重写しになって、マッカーサー・ショックは戦後日本の中に日本人の人格を再構築することになる。これが、マッカーサー複合体によって日本人のマインド・コントロールが曠古(空前)の大成功をみた根本的理由である。世界史上、戦勝国の占領政策がこれほど成功した例は絶無である。当初、占領車が恐れたように、敗戦国は占領軍を憎み、スキあらば復讐に立ち上がるというのが、世界の歴史である。フランス然り。ドイツ然り。ところが、日本人は復讐を誓うどころか、戦勝国の軍人を「救世主」と称えた。なぜ、日本人はいとも簡単に洗脳されてしまったのか。その謎を解く鍵がGHQ(連合国軍総司令部)であり、そこで行なわれた「日本人洗脳計画」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の存在である。
この洗脳計画の目的は、次のとおりであった(前掲『検証・戦後教育』)。
①侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行もしくは遂行に荷担せる罪の露見した者の処罰は、倫理的に正当であることを示すこと。
②戦争犯罪の容疑者を訴追しつつあることは、全人類のためであることを示すこと。
③戦争犯罪人の処罰は、平和的にして繁栄せる日本の再建と将来の世界の安全に必要であることを示すこと。
④戦争犯罪人には日本国民の現在の苦境をもたらした一番大きな責任があるが、国民自身にも軍国主義時代を許し、あるいは積極的に支持した共同の責任があることを示すこと。
⑤戦争犯罪を容認をした制度の復活を避けるため、日本国民の責任を明確にすること。
⑥政治家、実業家、指導的煽動家など、日本国内のさまざまなグルー・プに戦争責代があることを示すこと。
⑦戦争犯罪人は、公正かつ開かれた裁判を受けることを示すこと。 ⑧山下奉文大将の場合のように、死刑宣告に対する予想される批判の機先を制するため、残虐行為の責任者の処罰形態の決定にあたっては、名誉を考慮するにはあたらないことを明確にすること。
⑨日本国民に戦争犯罪と戦争犯罪人に関して議論させるように仕向けること。
要するに、東京裁判が「倫理的に正当」であり「侵略戦争」を遂行した「日本国民の責任」を明確にし、戦争贖罪(ウォー・ギルト)意識を植え付けることが目的だった。
GHQはこの洗脳計画に基づき、マスコミと学校教育を統制し、日本人を骨抜きにしていったのである。


