2016-04-23に発信した章である。
月刊誌「正論」(780円)今月号の巻頭に掲載されている、高山正之の連載コラム「折節の記」には、彼が、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を100%証明している論文がある。
日本国民の全てが驚く、目の覚める論文である。
彼は真実のみを書く男である。
彼に比べれば、大江健三郎などに代表される連中が、どれほど最低かは一目瞭然だろう。
私は、この論説を読んで、報道ステーションで、司会の古館に向かって、南シナ海は、中国から見ると、こうなんですよ、などと話していた中島岳志が浮かんできた。
彼が、どれほどいいかげんでデタラメな人間かも一目瞭然の事実を、高山は、こともなげに書いているのである。
彼はそういう言葉は嫌うだろうが、私は、高山は偉大な男だと賞賛する。
梅棹忠夫に匹敵するほどの知性であると称えたい。
前文略
習近平は「わが漢民族には他国を侵略するとかの遺伝子はない」と言った。
中越紛争でベトナムを深々と侵略し、ウイグル、チベットを植民地化し、今また「二千年前からわが領土だ」とか言って南沙の海上覇権を唱える。
どうしてこうも毅然と嘘を言えるのか。
よほど神経が図太いのかと思ったら、この前の軍事パレードではまさかの左手で敬礼をやっていた。
小心翼々。
嘘を大言するのは単に漢民族の特性みたいだ。
駐日大使、程永華もその口か。
「日本は南沙諸島に口を出すな」「日本は南シナ海問題の当事者ですらない」とチャイナ・デーリー紙一面で尊大に言い放った。
二千年前の支那人はまだ中原でうろうろしていた。
海も知らない。
やっと宋の時代の「諸蕃志」に「あの辺に岩礁がいっぱいある」とあるくらいで、支那人はずっと「海は魔界」(黄文雄)と怖がってきた。
あの辺をしっかり探査したのは台湾・高雄市在住の日本人、平田末治で、1919年、南沙を見つけ、リン鉱石の採掘をやってぃる。
戦前の国際航路図には「平田アイランズ」の表記もあるほどだ。
フランスが「一部は仏領」(1933年)と言い出したが、日本の反論で素直に主張を取り下げでいる。
アルザス・ローレーヌの取りっこでも分かるように領土には汚い国がかくもすんなり引っ込んだのは、日本領であることがよほど確かだった証しだ。
実際、サンフランシスコ講和条約でも委任統治領の南洋諸島や日清戦争で取った台湾などとは別に1項を設けて「日本は新南群島及び西沙群島の主権、請求権を放棄する」とある。
日本人が発見し、国際的に所有が明らかな島々を無理やり取り上げるにはそういう表記が必要だった。
平田が島々を高雄市に登記していた関係で、台湾に乗り込んできた蒋介石がその所有権を継承したと思われてきた。
しかし実際はベトナム、フィリピン、台湾など周辺の国々が新南群島のあちこちに適当に基地を置き、あの辺を「入会の海」として無国籍のまま利用してきた。
それなら元の持ち主、日本に返せばいい。
日本は周辺の国々を締め出して防空識別圏(ADIZ)を設けるほどケチはしない。
入会権は認める。
いや南沙も西沙も放棄したじゃないかというなら、これまでそこに入っていた国々の入会地にすればいい。
それも難しいというなら登記された台湾・高雄市のものにすればいい。
現に今年1月、習近平におべっかをつかう馬英九が南沙に上陸して「ここは中華民国のモノだ」と言った。
つまり、この5月からは最低でも蔡英文のものになる。
程永華の口ぶりを真似れば、今そこを軍事基地化している支那は「南シナ海問題の当事者ですらない」のだ。
月刊誌「正論」(780円)今月号の巻頭に掲載されている、高山正之の連載コラム「折節の記」には、彼が、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を100%証明している論文がある。
日本国民の全てが驚く、目の覚める論文である。
彼は真実のみを書く男である。
彼に比べれば、大江健三郎などに代表される連中が、どれほど最低かは一目瞭然だろう。
私は、この論説を読んで、報道ステーションで、司会の古館に向かって、南シナ海は、中国から見ると、こうなんですよ、などと話していた中島岳志が浮かんできた。
彼が、どれほどいいかげんでデタラメな人間かも一目瞭然の事実を、高山は、こともなげに書いているのである。
彼はそういう言葉は嫌うだろうが、私は、高山は偉大な男だと賞賛する。
梅棹忠夫に匹敵するほどの知性であると称えたい。
前文略
習近平は「わが漢民族には他国を侵略するとかの遺伝子はない」と言った。
中越紛争でベトナムを深々と侵略し、ウイグル、チベットを植民地化し、今また「二千年前からわが領土だ」とか言って南沙の海上覇権を唱える。
どうしてこうも毅然と嘘を言えるのか。
よほど神経が図太いのかと思ったら、この前の軍事パレードではまさかの左手で敬礼をやっていた。
小心翼々。
嘘を大言するのは単に漢民族の特性みたいだ。
駐日大使、程永華もその口か。
「日本は南沙諸島に口を出すな」「日本は南シナ海問題の当事者ですらない」とチャイナ・デーリー紙一面で尊大に言い放った。
二千年前の支那人はまだ中原でうろうろしていた。
海も知らない。
やっと宋の時代の「諸蕃志」に「あの辺に岩礁がいっぱいある」とあるくらいで、支那人はずっと「海は魔界」(黄文雄)と怖がってきた。
あの辺をしっかり探査したのは台湾・高雄市在住の日本人、平田末治で、1919年、南沙を見つけ、リン鉱石の採掘をやってぃる。
戦前の国際航路図には「平田アイランズ」の表記もあるほどだ。
フランスが「一部は仏領」(1933年)と言い出したが、日本の反論で素直に主張を取り下げでいる。
アルザス・ローレーヌの取りっこでも分かるように領土には汚い国がかくもすんなり引っ込んだのは、日本領であることがよほど確かだった証しだ。
実際、サンフランシスコ講和条約でも委任統治領の南洋諸島や日清戦争で取った台湾などとは別に1項を設けて「日本は新南群島及び西沙群島の主権、請求権を放棄する」とある。
日本人が発見し、国際的に所有が明らかな島々を無理やり取り上げるにはそういう表記が必要だった。
平田が島々を高雄市に登記していた関係で、台湾に乗り込んできた蒋介石がその所有権を継承したと思われてきた。
しかし実際はベトナム、フィリピン、台湾など周辺の国々が新南群島のあちこちに適当に基地を置き、あの辺を「入会の海」として無国籍のまま利用してきた。
それなら元の持ち主、日本に返せばいい。
日本は周辺の国々を締め出して防空識別圏(ADIZ)を設けるほどケチはしない。
入会権は認める。
いや南沙も西沙も放棄したじゃないかというなら、これまでそこに入っていた国々の入会地にすればいい。
それも難しいというなら登記された台湾・高雄市のものにすればいい。
現に今年1月、習近平におべっかをつかう馬英九が南沙に上陸して「ここは中華民国のモノだ」と言った。
つまり、この5月からは最低でも蔡英文のものになる。
程永華の口ぶりを真似れば、今そこを軍事基地化している支那は「南シナ海問題の当事者ですらない」のだ。