文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

岸田文雄総理が「私は被爆地・広島の出身だから非核三原則を守る」とおっしゃる。これは論理的におかしいでしょう。

2023年01月01日 21時41分34秒 | 全般

嵐山は、私にとって我が家の庭であると言っても過言ではない。
何しろ、数年前には1年の内100日も嵐山の春夏秋冬を撮影していたのだから。
元旦に行く事も多い。
今日もそうだった。
運よく京都駅から4人掛けの座席に座れた私は、昨日、発売された月刊誌正論2月号を読んでいた。
冒頭の櫻井さんと織田さんの対談特集。
読みふけっていた私は号泣しそうになった。
櫻井さんも「聞いていて涙がでそうになりました」と。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
最近、月刊誌「正論」は読み残す事が多かったのだが。
日本国民で活字が読める人たちは、最寄りの書店で今月号を購入して、正月休みの間に精読しなければならない。
見出し以外の文中強調は私。
日本よ覚醒せよ 公の精神取り戻せ
麗澤大学特別教授・元空将 織田邦男×ジャーナリスト櫻井よしこ

-織田さん、このたびは第38回「正論大賞」の受賞おめでとうございます。
審査員全員一致での受賞決定でした。
織田 
身に余る光栄で、重い荷を背負ったような気がしています。
初回から櫻井先生を含めて私の前の第37回まで、錚々たる大学教授、文化人、ジャーナリストの方々が受賞されている中で、私はただの元自衛官です。
先日、櫻井先生に「私かこんな賞をいただいていいのでしょうか」と伺いましたら、「後輩の励みになるからもらいなさい」と言われて吹っ切れました。
雲の上の存在だった知的巨人の中での、ただの自衛官OBの受賞です。
私が自慢できるとしたら人生の約半分、35年間を国防の最前線で過ごし国の守りにあたってきた、唯一それだけです。 
アサヒが飲むものであって読むものではないと言われるように、「正論」は読むものであって自分が書くものではないと私は思っていました。
私の唯一の存在意義は35年間、最前線にいた現場の目線ですから、その目線で見るのは学者・ジヤーナリストの皆さんとは違うかな、と思って令和3年に産経新聞の正論欄執筆メンバーをお引き受けした次第です。それに加えて今回の正論大賞、まさかという思いでしたが光栄なことです。
櫻井 
私は「後輩のためにも」と申し上げましたがもう一つ、織田さんの受賞は自衛隊の先輩たちのためでもあると思います。 
これまで日本の政治の場における国防の議論がいかに実のない、非現実的なものであったことか。
かつて栗栖弘臣統合幕僚会議議長が「いざ外国の奇襲攻撃を受けても総理大臣から防衛出動命令が出るまで動けない、それでは国民を守れない。結果として超法規的な行動をとって守るしかない」と発言した。
今、同じ発言をしても何ら問題にはならないでしょうけれど、栗栖さんは当時の金丸信防衛庁長官に罷免されてしまいました。 
栗栖さんは革新勢力からは罵詈雑言を浴び、その後に出馬した参院選では落選するなど、後半生を棒に振ってしまったわけです。
そうした先輩方の苦しい、悔しい道のりが今まであって、今の日本がある。
そこで織田さんが発言されていることは今後の後輩のためでもありますし、先輩方のご苦労に応えることでもありましょう。
国軍たる自衛隊を担う自衛官の代表として、すばらしい発言をされていると思っています。
織田 
ありがとうございます。
産経新聞の正論欄に令和3年9月から書き始めて気になるのが、自衛隊OBや後輩たちからの「よくぞ言ってくれた」との言葉です。
これは「まだ自分たちは発言できない」ということの裏返しでもあり、複雑な心境になります。
今でも、軍や核兵器、安全保障に関しては江藤淳氏が言うところの「閉ざれた言語空間」が厳然としてあって、米国では当たり前に論じられることが言えないのです。 
終戦直後にはたしかに「閉ざれた言語空間」があり、栗栖さんなども相当な苦労をされました。
現在はさすがにその状況はなくなったかと思いきや、意外とそうでもありません。
「非核三原則」と聞いたとたんに、何か魔法にかかったかのようにそこから先に1歩も進まない状況がいまだにあります。
岸田文雄総理が「私は被爆地・広島の出身だから非核三原則を守る」とおっしゃる。
これは論理的におかしいでしょう。
非核三原則が日本国民を守るために最適な政策だからこれを守る、ということなら納得しますが、果たして他の選択肢を考えた上での結論なのか。
そうしたタブーが存在する状況を誰が正していくかといえば、地言に「正論」という場を使わせていただいて主張していくしかありません。
櫻井 
この対談記事が出るころには安全保障関連三文書が改定されている見通しですが、そこで大きな役割を果たすはずの有識者会議の議論では、核の問題は全く論じられませんでした。
岸田総理が「私は広島の出身で、非核三原則を守って…」とおっしゃるのは核の問題から目をそらした全くおかしな議論です。
ご指摘のように非核三原則で国と国民が守れるのならともかく、そうではありません。
もう一つ、岸田さんは広島のご出身ではありますが、日本国の総理大臣なのです。
そこはきちんと考えていただきたい。 
核、というとおどろおどろしいもの、悪い目的のために使われるものと思われがちですが、核が最大の抑止力であることから目をそらしてはなりません。
核が安全保障に役立っているプラス面を冷静に考える必要があります。
織田 
自由闊達な議論をした上で「やはり日本は総合的に考えて非核三原則でいこう」というのならいいのですが、全く議論なしに決められているのが問題なのです。
40年以上前に清水幾太郎さんが著書『日本よ国家たれー核の選択』で、日本は「被爆国」という特権意識を持っているのではないか、被爆国だからといってどこの国も核攻撃を遠慮したりはしませんよ、と指摘しています。

非核三原則・専守防衛は合理的なのか
織田 
そうした、考えれば考えるほどおかしなことが今なお通用している。
たとえば「専守防衛」という概念です。
専守防衛というのは「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使」するということで、ここまでならまだいい。
国連憲章の考え方もそうですから。
しかしそれに続いて「その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限られる」となっています。
これはおかしい。 
わが国の「防衛政策の基本」として専守防衛、軍事大国とならないこと、非核三原則、文民統制の確保を掲げています。
専守防衛を認めるとしても、これは国民が犠牲になる・傷つくという前提なのです。
そういう前提の政策など政策たり得ない。
その前提であれば、絶対に戦争を起こさせない、絶対に抑止するというのが政府の方針でなければならない。
すると必然的に、強力な軍事力と巧みな外交が不可欠になる。
一方で「軍事大国とならない」の中には、他国に対して脅威とならないとある。
他国に対して脅威とならない必要最小限の軍事力で抑止が効くのか。
そもそも「専守防衛」と「軍事大国とならない」は矛盾しているのです。 
この矛盾した基本政策を政府・防衛省が堂々と掲げていることに誰も文句を言えません。
このたび日本が「反撃能力」を持つことが自公両党の問で合意されましたが、そこでも専守防衛という言葉があまり中身が考えられないままに飛び交っていましたが、これはおかしい。
国民を何としても守る上で、専守防衛という立揚を採るならば絶対に戦争を起こさせないような強力な防衛力を持つ必要がある。
誰もそれを言いません。
櫻井 
言葉の表面的な解釈に留まって、深く考えていないんですね。
こちらから攻撃しないということで、「日本が悪い戦争をした」と反省する国民性の中で専守防衛という言葉がスッと頭の中に入ってきてしまうのでしょう。
けれども、政治家あるいは言論人として説明する責任があったと思うのは、専守防衛は国民が犠牲になるのがまず前提になっているということです。
織田 
必然的に日本の国土が戦場になるということですから。
櫻井 
何百人か何千人かの国民が死んで初めて反撃が許されますが、それでよろしいのですね、ご家族や友人の犠牲を前提にして初めて専守防衛という政策が成り立つのです、という説明を本来、しなければなりません。 
それから「必要最小限」ですが、自衛隊の皆さんはいつも全力で、各地へ災害派遣に行かれていることと思います。
そこで「必要最小限の災害派遣をお願いします」と言われたら、どうなのか。
必要最小限で国を守ろうとした場合、思いのほか敵が強かったら総崩れになってしまいかねません。
災害派遣でも、いったん退散して出直すことにもなりかねない、そういう仕組みなのです。
戦後の日本人は想像力の欠如、考える力の劣化で、現実の意味するところを想像できなくなってしまっているのでしょう。
織田 
専守防衛などの不合理性については、政治家は分かっていながら見て見ぬふりをしているところがあります。
大物議員なども個人的には「必要最小限の対応」なんておかしい、とハッキリ言うのですが、公の場になるとウヤムヤになってしまう。
やはり専守防衛という政策は変えていかなければいけません。
「専守防衛」と言う名は変えられないのであれば、中身を再定義する必要がある。
議論もせず「おかしい」と思いながら、見て見ぬふりをして飲み込んでしまう。
政治が最も慎まなければならないことです。 
「非核三原則」もそうで、核を持ったほうが本当は安全だと思っている国会議員は結構いるはずですが、それを口に出して言えない。議論もできない。
きちんと自由闊達な議論を重ねなければコンセンサスを得られないと思うのですが、やはり「閉ざれた言語空間」が今なお存在しているように思えてなりません。
櫻井 
織田さんの役割は、安倍晋三元総理の役割と似ていると思います。
安倍元総理は「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」とおっしゃいました。
これを聞いて多くの人は「よくぞ言ってくれた」と思ったことでしょう。
核共有を含め核の議論もしなければいけない、また防衛費を国内総生産(GDP)比2%に引き上げるべきだともおっしゃった。
われわれが認識し議論しなければならないボールを投げかけられた。
織田さんも同じように、自衛隊の現役の方々が気がつきながらも言えなかったことを、世の中の一歩先を見て提言されている、
そのことに改めて敬意を表したいと思います。
織田 
安倍さんは本当にうまくボールを投げて、波紋を広げられてきたと思います。
その点、私は下手にボールを投げるとただの右翼扱いされて無視されかねませんから、「正論」でも十分に気をつかって書くようにしているところです。
櫻井 
いま、国の統治の基本が経済から軍事へと移っているように思われます。
今後、軍事について議論する必要性が高まってきますが、私たち軍事の素人にとって軍事について考えることはなかなか難しい。
そこにどんどん具体的な問題提起をしてくだされば、それが考えるための種とも材料ともなります。

国のために尽くすのは幸せなこと
織田 
それは元自衛官としての責任と感じています。
先日の産経新聞「正論」欄に書いたことですが、国際世論調査で「もし戦争が起こったら、国のために戦いますか」との問いに、「はい」と答えた割合が日本は13.2%で、調査対象79ヵ国中で断トツ最下位でした。
下から2番目だったリトアニアでも32%あまりでしたから、倍以上の差です。 
私はいま、大学で安全保障について教えていますが、学生たちにとって私の話すことは非常に新鮮に映っているようなのです。
世の中では安全保障についてほとんど論じられていませんが、日本を取り巻く国際情勢は厳しく、学生たちも「日本は本当に大丈夫なのか」と思っている。
だから私の講義を、目を輝かせて聞いてくれるのです。
そして講義の後、学生がやってきて「私はいざとなったら戦います」と小声で言うのです。
櫻井 
それは大きな声で言わないと(笑)。
織田 
大きな声では言えないんですね。
講義の途中でも挙手して「日本は79ヵ国中でビリかも知れないけれど、私は違います!」と言うのが普通ではないかと思うのですが。
やはり日本特有の言語空間のいびつさがあるのだと思います。
こうしたものを一つ一つ打破していかねばならない、それが防衛の最前線で35年間、戦ってきた私の使命なのかなと思っています。
櫻井 
私たちは軍事に疎いということもありますが、そもそも国の存在感が戦後、希薄になっているという問題があろうかと思います。
国のために命を投げ出すという発想が途絶えてしまって、会社のために頑張るとか、こぢんまりしたところに人生の意義を見出すようになってしまっている。
戦後の日本は、憲法をみても国の果たす役割がありません。
国は事実上、何もしなくてもいいんですよと書いてあるのが憲法前文です。
国家の土台である軍事はといえば、9条2項で陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないとされていて、交戦権も認められていない。
国は国民を守ることも国際社会におまかせ状態でいなさい、と命じているのがこの憲法なのです。
戦後の国の土台が歪められてしまっているのです。
織田 
米国の第3代大統領トマス・ジェファーソンは「最大の国防は良く教育された市民である」と言っていますが、日本の場合は真の教育がなされていない。
私は自衛隊に35年奉職して、それがよく分かりました。
自衛隊での教育とはどのようなものかと、よく聞かれます。
私は「公の復活」ですと申し上げています。
いま学校教育や一般社会では「私」優先で、国家や社会の大切さが軽視されています。
一方、自衛官が最初に制服を着て宣誓するのが「事に臨んでは危険を顧みず」という利他の精神です。
国民のために全力を尽くし、場合によっては自分の命を投げ出すこともあり得る、ということで日教組の教育とは真逆です。
それで自衛隊に入ってきた若者は目覚めるのです。 
日本人は古来の伝統に根差す「利他の精神」というDNAを持っているはずですが、それが学校教育で封印されている。
そのDNAを芽生えさせるわけです。
他人のため社会のため国のために尽くすことがこんなに幸せで心地よいものだと分かった瞬間に、隊員の目の輝きが違ってきます。
災害派遣に出ていく自衛官の目の輝きを見てください。
もちろん、自衛官でも変な人間はいますが「犯罪白書」によれば自衛官が罪を犯す割合は一般人の10分の1程度に過ぎません。
自衛隊の教育が総じてうまくいっているのはなぜかといえば、それまで抑えつけられていた日本人の魂・DNAを目覚めさせているからなのです。

国との約束守った大正生まれの父
櫻井 
すばらしいことだと思います。
もう少し具体例を紹介いただければ。
織田 
入隊した隊員は最初に朝夕の国旗掲揚・降下を実践し、そして「事に臨んでは危険を顧みず」と教えられます。
実際の活動としても空自の航空救難団のモットーとして「That others may live(他を生かすために)」という文言がありますが、他の人を生かすべく自分たちは頑張る、という教育をいろいろなところで受けるわけです。
私がすばらしいと思ったのは、自衛隊のイラク派遣の際に私が2年8ヵ月、指揮官を務めたときのことです。
私の在任中も含めイラク派遣の5年間で、自衛官の事件は1件だけ、それも自衛官が他の車両にはねられたというものだけでした。
不祥事らしい不祥事は一切ありませんでした。 
自衛隊がイラクから撤収する際、多国籍軍の指揮官たちとの昼食会があり、そこで「自衛隊には実は軍法も軍法会議もありません」という話をしたら皆、のけぞっていました。
それでなぜ不祥事が起きないのか、と問われ、私が「サムライスピリットだ」と答えたら一同、目を白黒させていました。
実際のところは日本人が本来もつDNAを芽吹かせた結果だと思っています。
他人のために生きる、というのは特別なことではなく、日本人として当たり前のことだといえます。
伝教大師最澄も「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」とおっしゃっている。
こういうことを学校教育で教えてもらいたいものですが、これは家庭でもできる教育です。
そうした家庭で育てば立派な人間になることでしょう。 
防衛大学校の入校生でも「将来、自衛官になる」と固い信念を持っているのはほんの2割程度です。
しかし4年間「他人のため国家のために尽くすことはどんなに幸せなことか」と繰り返し教え、それを訓練や実生活を通じて体得した結果として、8割の学生が自衛官に任官します。
自衛隊に入ってくるのが特別な人であるわけではなく、自衛隊の教育が超右翼教育なのでもありません。
きちんとした社会人を育てる教育を行っているだけなのですが、一般社会ではそれが欠けている、ということでしかないのだろうと思っています。
櫻井 
公の心を取り戻す教育が大事とのこと、その通りだと思います。
これは、福沢諭吉が「立国は私なり、公にあらざるなり」と言ったことと対にして考えねばならないでしょう。
自衛隊は公の組織だけれども、その中で一人一人の自衛官が私として自分の命をなげうって任務を達成する、すなわち私の心と公の心とを一体化することが国の永続につながるのだと思います。
公は私から成り立っていて、私はまた公によって場を与えられ守られている。
そういうことが、昔の人は物語などを通じて家庭教育で教えられてきたはずです。
例えば『太平記』に出てくる楠木正成は、私を全うして公に尽くし、その生き様を物語として後世に残しました。
しかし楠木正成は戦後、教えられなくなり、そういう教育はいま、圧倒的に不足しています。
織田 
私の両親は戦中派で、結婚してすぐに広島県で呉空襲に遭って母の嫁入り道具は全部、焼けてしまったと聞いていますが、両親の世代ですと国家と個人の関係が自然に一体化しているんですね。
その象徴が靖国神社だと思います。
私の父はパイロットだった弟を戦地で失っており、90歳を過ぎても九段下の駅から杖を突いて坂を登って靖国に参拝していました。
父は、靖国神社を毛嫌いする人たちが何を考えているのか、最後まで理解できなかったようです。
父にとって国家と個人は一体化していたのです。 
人間の究極の欲望は、天寿を全うすることだと思っています。
その欲望を投げ捨てて国家のために命を捧げた人に対して生きている者が礼を尽くすのは、ごく当然のことでしょう。 
父が90歳になったとき、初めて「実はワシは戦艦大和を造っていた」と聞かされました。
父は海軍呉工廠の技官で、戦艦大和の第二砲塔の製造に携わっていたそうですが、なぜ今まで黙っていたのか聞くと「国と約束したからだ。わしももう長くない。もうええじやろう」と。
国と約束したことだから、戦後生まれの私にもずっと言わなかった、ということだったのです。
仰天でした。
櫻井 
聞いていて涙が出そうです。
この稿続く。


織田 
大正生まれの男は、7人に1人が戦死しています。
そうした中で生き残った親父たちの世代では、国家と個人が一体化しているのです。
海外に行ってみれば、そうした関係が通常であることが分かります。
私などはまだ、そうした意識を持っていた大正生まれの二世ですからいいのですが、日本では若い人ほどにそうした公の意識は薄れていきます。
国家と個人の関係をしっかり教える教育をしなければ、日本の日本らしさがどんどん消えていってしまう。
それが唯一、残っているのが自衛隊だと思います。
それにしても、国家に対する思いについて私は自衛隊に入って熱い思いを持っているつもりでしたけれども、親父はもっと熱い思い入れがあったんでしょう。
櫻井 
そうした人たちの思いが凝縮されているのが靖国神社だといえますが、その靖国神社がないがしろにされている現状は、非常に恥ずかしいことですね。
織田 
国家の恥ですし、精神のメルトダウン(溶解)を引き起こしています。
個人と国家が一体となっているからこそ国家が繁栄するわけですし、国家のために尽くした人をきちんと追悼してこそ国家は成り立つものです。
そういうことを言うとすぐ「右翼」だとかレッテルを貼られて言論を封殺されそうになりますが。
櫻井 
私の母は明治末年、農村の生まれで、もちろん軍人でもありませんでしたが、その母の中でも国家と個人は一体化していました。
終戦時にベトナムから、両親は生まれたばかりの私と兄を連れて、一文無しになって引き揚げ船に乗って帰ってきました。
母が東京・上野に行ってみると、あたり一面は焼け野原だった。
後年、母に「そのとき、どんなことを考えたのか」と聞いたのですが、母は「お国はこの先、大丈夫なのだろうかと考えた」と答えたのです。
一文無しで満足に住む家もなかったのに、家族の生活は何とか頑張ればやっていけるが、破壊され尽くした祖国のことの方を心配したのです。
織田 
われわれは戦中派の両親に育てられました。
私が防衛大学校に進学するとき、母は「お国に捧げた身だから、頑張りなさい」と言うのです。
戦闘機パイロットになったので、本当は心配で仕方なかったはずですが、それを私には決して言わなかった。
「国のために命を賭けて頑張れ」とは、私などもなかなか息子に対しては言えません。
近年は、そんなことを言うのは悪だといわんばかりの教育がなされています。
「命賭けで頑張れ」と公に教育できるのは、今や自衛隊だけかもしれません。
「国民を守るために、必要最小限に頑張れ」なんてことは言いません。

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