文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

その認識は、「英米は民主主義を守るために全体主義国と戦った」という従来の大戦史観(釈明史観)の変更をも意味します

2018年07月17日 11時16分06秒 | 日記

以下は前章の続きである。

北方領土は「日本対連合国の問題」      

渡辺 また、ヤルタ会談では侵略国家によって奪われた主権と自治の回復を求める声明が出されました。

「侵略国家によって」という但し書きがあるのは、連合国の一員であるソビエトは侵略国家ではない、ソビエトに自由を剥奪された国には適用されない、という理屈です。   

ここで焦点となるのは、ポーランドの扱いです。

第二次大戦は、英仏が安全を保障するポーランドの独立をナチス・ドイツが侵したことで始まりました。

当時のロンドンにはポーランド亡命政権があり、イギリスはポーランドの独立を保障していた。

したがって、チャーチルにはポーランド亡命政権を保護する義務があったのです。 

一方、ルーズベルトも1944年11月の選挙ではポーランド系有権者の票獲得のため、同国の自由回復を約束します。

ところがヤルタ会談時、すでにポーランドにはソビエトの後押しで共産主義組織ができていました。

さらにあろうことか、チャーチルとルーズベルトはこの状況を追認してしまった。

二人がポーランドのみならず東ヨーロッパの共産化を認めたのは、ソビエトの軍事力の助けがなければナチス・ドイツには勝てなかったことをはっきりと認識していて、強い負い目があったからです。 

中西 第二次大戦時、太平洋戦線はアメリカの圧倒的な軍事力によって圧せられました。

しかしヨーロッパ戦線においては、ソビエト軍のナチス・ドイツとの4年にわたる死闘と膨大な犠牲なしに連合国の勝利はありえませんでした。

たしかに1944年6月、ノルマンディー上陸作戦後の米英連合軍は、西部戦線を開いてドイツに向けて進撃を開始しますが、その犠牲者数は、それまでの独ソ戦の死者と比べれば、まったく比較にならないほど小さいものです。

ドイツの抗戦能力の大半が対ソ戦、つまり東部戦線に振り向けられていたからです。

渡辺 第二次大戦で、ソビエトはじつに2,000万人もの死者を出しています。

この犠牲者数の多さは、ルーズベルトやチャーチルにとってもスターリンとの交渉上の「心理的(ンディキャップ)だったことでしょう。 

中西 世界的なスケールで戦争を見る能力と立場にあった米英のこの二人から見れば、権益の分捕りを目的とする帝国主義戦争としての第二次大戦という本質を踏まえていたから、ソビエトには相応の「取り分」を与えるしかない、とわかっていたはずです。

つまり、ポーランドも東欧も抑圧的な共産体制下に置かれることがわかっていながら、スターリンに「くれてやった」ということです。先の大西洋憲章における「領土不拡大」の方針は、枢軸国あるいは自国民向けのプロパガンダにすぎなかったことは、この点からもわかります。 

さらに今日の日本人があらためて振り返るべき点は、ヤルタ密約と北方領土問題との関係です。

アメリカの歴史家は「ルーズベルトは日露和親条約(1855年)や千島・樺太交換条約(1875年)の存在を知らなかった」などと言い訳をしていますが、むろんこれは嘘です。

米国務省はもちろんルーズベルトも、千島列島とくに北方四島が日本固有の領土であることは百も承知で、ソビエトに割譲、つまり連合国全体として征服者の特権である領土拡大を行なったということです。 

日本政府は「ロシアに不当に占領されている」として北方領土の返還を要求する根拠として、ルーズベルトとチャーチルの二人が「領土不拡大」を謳った前述の大西洋憲章を柱としている。

しかしヤルタ会談に至る大戦中の米英首脳の動きを詳細に見ていくと、北方領土問題をつくり出したのは、まさにこの米英二国であることを忘れてはなりません。

言葉を換えれば、北方領土とは日ソ(日露)間の問題でなく、「日本対連合国の問題」なのです。 

渡辺 ご指摘のとおり、現在も日本を苦しめる北方領土問題は、ヤルタ会談におけるルーズベルトとチャーチルの判断の愚かさに起因することは間違いありません。

この問題を解決するには、ヤルタ会談における秘密合意の失敗を認めることが第一歩でしょう。 

しかしその認識は、「英米は民主主義を守るために全体主義国と戦った」という従来の大戦史観(釈明史観)の変更をも意味します。

ルーズベルトとチャーチルが進めた外交を懐疑的に見る歴史修正主義が歴史解釈の主流にならなければ、北方領土問題の解決は難しいと考えざるをえません。  

中西 この点で、プーチン政権は「北方領土は第二次大戦における連合国の勝利の結果、ロシア領になった」という発言をしていますが、これはある種の本音というか、歴史的にはより正確な見方で、伝統的な「征服戦争」としての第二次大戦というあの戦争の真の在り方に……沿ったもの、といえるでしょう。

北方領土は国際政治の根本的な規範、つまり正当な「ゲーム・オブ・ルール」 によって日本から奪ったものだから、返す必要などない。なんならアメリカやイギリスの本音を聞いてみよ、と日本人に教えているのです。

アメリカやイギリスも、第二次大戦での戦勝国として戦後、太平洋の島々をはじめ、多くの戦略拠点で実質的な領土拡大をしてきまし た。

この点で「ソ連と同じ穴のムジナ」ということです。  

もちろん、わが国としてはあくまでも「法と正義」という原則に則った四島返還の立場を堅持し、敗戦国として、米英ソによる不当な戦後処理への抗議として、返還を訴え続けなければなりません。

この稿続く。


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