若宮啓文が北京で死亡したというニュースが唐突に流れた時。私は、報道された字句通りに受け取る事が出来なかった。
何かあるように感じたのである。
それは、報道ステーションで初めて彼を見た時の印象が、あまりにも異様だったからである。
朝日新聞社というのは、中国の諜報機関(CIAやFBI)が、何事かを白日の下に晒したら、新聞社としては存続できない、新聞社なのではないか、そんな疑念を私は、今、確信的に持っている。
それは韓国との関係においても同様だろう。
5月17日の16ページの紙面(北野隆一と箱田哲也が書いた全面記事である)は、そう確信させた。
6月1日夕刊(関西発)のフロントページも、そう確信させた。
それらの記事について、今に至るも、私が言及していないのは、彼等に対する怒り…一昨年の8月まで、全く疑念を持たずに、朝日新聞を購読して来ただけではなく、精読してきた事の無念さと怒りを感じているからである。
それは筆舌に尽くし難い怒りなのだ。
日本人として、日本国民として、到底許せない、もはや許せない怒りを感じているからなのである。
三菱自動車の燃費偽装のニュースが流れた時、私は、これは日本人がした事ではないと思った。
朝日新聞の要職に、テレビ朝日の外報部デスクなどに、在日韓国人が結構な数いることは、もはや周知の事実である。
三菱系の企業人たちの殆どは朝日新聞の購読者のはずだ。三菱自動車にも在日韓国人は結構いるはずだと思う。その中に、偽装を指示した責任者がいるのではないか、私は、咄嗟にそう思ったのである。日本人の感覚では考えられない、そう思ったのである。
この稿続く。