文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

購読して来ただけではなく、精読してきた事の無念さと怒りを感じているからである。

2016年06月06日 21時13分37秒 | 日記

若宮啓文が北京で死亡したというニュースが唐突に流れた時。私は、報道された字句通りに受け取る事が出来なかった。

何かあるように感じたのである。

それは、報道ステーションで初めて彼を見た時の印象が、あまりにも異様だったからである。

朝日新聞社というのは、中国の諜報機関(CIAやFBI)が、何事かを白日の下に晒したら、新聞社としては存続できない、新聞社なのではないか、そんな疑念を私は、今、確信的に持っている。

それは韓国との関係においても同様だろう。

5月17日の16ページの紙面(北野隆一と箱田哲也が書いた全面記事である)は、そう確信させた。

6月1日夕刊(関西発)のフロントページも、そう確信させた。

それらの記事について、今に至るも、私が言及していないのは、彼等に対する怒り…一昨年の8月まで、全く疑念を持たずに、朝日新聞を購読して来ただけではなく、精読してきた事の無念さと怒りを感じているからである。

それは筆舌に尽くし難い怒りなのだ。

日本人として、日本国民として、到底許せない、もはや許せない怒りを感じているからなのである。

 

三菱自動車の燃費偽装のニュースが流れた時、私は、これは日本人がした事ではないと思った。

朝日新聞の要職に、テレビ朝日の外報部デスクなどに、在日韓国人が結構な数いることは、もはや周知の事実である。

三菱系の企業人たちの殆どは朝日新聞の購読者のはずだ。三菱自動車にも在日韓国人は結構いるはずだと思う。その中に、偽装を指示した責任者がいるのではないか、私は、咄嗟にそう思ったのである。日本人の感覚では考えられない、そう思ったのである。

この稿続く。


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