文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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欺瞞・不全に陥っている…朝日新聞6月27日18面より

2011年07月06日 13時10分51秒 | 日記
佐伯一麦→古井由吉 往復書簡
当たり前のこと認識させる言葉


震災後、言葉の回復はあるのか。作家の古井由吉さん(73)は20日付の文化面で、言葉の空白が開いた戦後を思いながら、死者と生存者の心が寄り集まった「目に見えぬ碑文」が立つことを想起した。
作家、佐伯一麦さん(51)は言葉の変質に思いを進める。

古井由吉様

大きな喪失感は生涯、あるいは何代にもわたって抱え込むしかない。当たり前のことを当たり前としてはっきりと認識させてくれる言葉が、いつからか世間からめっきり少なくなっていたように思います。

目には見えぬ碑文、とあるのを読んで、この震災で身内を亡くされた聾唖の知人に以前教わった、空に指で文字を記して会話をする空文字のことを想いました。いま空文字を一文字刻むとしたら。
「悲」でしょうか、「無」でしょうか。「恨」「歎」「虚」。私は「畏」と刻みたい。

あまりにも悲観的すぎることは□にすべきではない、という自制の心も働くのでしょうが、震災をめぐっても、言葉は言語欺瞞、言語不全に陥っているように思われます。

かつて、大量の公金を投入しなければ立ち行かなくなってしまった銀行の状態を「破綻」と言わずに「破綻前」と言い繕うことを問題にしましたが、「想定外」は言うに及ばず、同じ用法がいくつも見受けられるようです。

放射能被曝を心配する住民に、「正しく恐れる」ことが大切だと医師や科学者は言い、その出所は寺田寅彦だという。しかし浅間山の爆発についての随筆の中での寅彦は、「正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」と記している。正しく、ではなく正当に、です。科学者たちの言うニュアンスとは正反対のように私には思えます。

震災から三月が経ち、隣市の閑上という小さな港町を津波で家を流された知人と共に歩きました。わずか十メートルにも満たない日和山という築山に登ると、周りは、酷いほどに三百六十度視界が広がりました。

古井さんもどこかに書いていらしたと思いますが、港町にはかつて経験を積んだ日和見の専門家がいて、土地の日和山へ登って雲行きや風向きを調べて天気を占ったそうですね。

潮の流れや鳥の飛行なども見たことでしょう。震災のさいにも、海に津波の兆候をいち早く見だのではないか……。

日和山の裏手には、昭和八年の三陸地震による津波の戒石が転げ落ち、横倒しになっていました。いまではあまりよい意味で使われなくなってしまった日和見の言葉など、世間ではもう当てにしてはいないのでしょう。

その端緒が、福島第一原発の試運転が開始された一九七〇年頃にあったと考えるのですが、古井さんはどう思われるでしょうか。

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