すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

パティ・ジェンキンス「モンスター」

2005-12-01 09:02:01 | 映画評
「Dolls」の菅野美穂の演技も素晴らしかったが……………


ある共通の知人の女性について語っていたときのこと。
「娘さんが、高校に受かってね。ちゃんと通っているようだし、良かった良かった」
 高校が受かったのは良かったけど、学校に通っているのは、そんなに褒めることか? と思い、質問すると、案の定、中学ではいじめを受けていた、とのこと。
「そうなんだぁ。いろいろと大変だねぇ」
と言いつつも、いじめの対象となり易いタイプっているから、高校でいじめられなくても、仲間内に入れないで、やっぱり疎外されているんじゃないかぁ…………などと余計なことを考えたり。

が、聞いてみると、知人の娘さんに隙があっていじめられていたというよりも、その中学が荒れていて(和が母校)、生徒の管理ができていなかったことが主たる原因らしい。
特に、他の中学からたらい回しにされてきた女生徒の一人がリーダーになって、何人もの生徒を不登校に追いやったらしく、知人の娘さんというのも、その被害者らしい。

先生たちも問題は知っていたようではあるが、どうにも対処しない、というか、対処できない。

そのリーダー格の女生徒の父親というのが、ヤクザ関係者。女生徒を注意しようものなら、学校に怒鳴りこんでくる始末。

結局は、先生の力量不足ということになるのだろうが、自分が、その女生徒の担任であったすると、毅然と仕事ができる自信はないなぁ。大事にならないようにと祈りながら、息を殺して、その女生徒の卒業を待っているんじゃないなぁ…………。


話を聞き終えて、
「なるほど、かわいそうにねぇ」
と口にしましたが、そのとき「かわいそう」の対象になったのは、このいじめに関わった全ての人間に対して。

いじめを受けていた当人はもちろんのこと、それを見逃すしかなかった先生も、また大人の「悲しみ」が漂ってくる話です。
でも、一番の「かわいそう」な人は、そのいじめを行っていたリーダーでしょう(取り巻きの人間は、リーダーが不在になれば雲散霧消して、適当に世間に迎合して生きていくでしょう……………)。

どの中学でも持て余したという経歴からして、高校に入れたとは思えない。もちろん就職などもできないでしょう。
親が健在なうちは、その経済力と威勢を背景にして生きていられるでしょうが、一生庇護に頼るわけにはいかない。
まぁ器量がずば抜けていれば、それなりに生きる手立てを見つけることもできるかもしれませんが、加齢に抗し得るほどの美貌など、そうそう恵まれるものではない。

若いうちは学校に真面目に通う同世代を小馬鹿にし遊んで暮らし、二十歳を過ぎてからは街の強面として肩で風を切って歩いていることもできるかもしれませんが、さて、三十、四十となれば、地域の鼻つまみ者として、ただただ白い目で見られる人生が待っている。

怒鳴りこんでくる親を背景にして学校を支配して悦に入っているような人間であれば、とても親(の思想・生き方)から自立するような時期が来るとも思えない。
小さな暴力で世界を生きていると、いつまで経っても勘違いして生きていくであろう、その子のことを頭に浮かべると、彼女のいじめという行為を肯定するわけではありませんが、「かわいそうだなぁ」という思いを禁じえません。


まぁ、そんなことを思い出させてくれた、パティ・ジェンキンス「モンスター」。(前置きが長すぎ………)

シャーリーズ・セロンが、全米初の女性連続殺人犯アイリーン・ウォーノスを演じた映画。

シャーリーズ・セロンの特殊メイクもすごいが、それ以上に、狂気と悲しみの宿った目が素晴らしい。
「あぁこれが演技なんだな」
と圧倒されました。

売春婦として世間から蔑まれていきているアイリーンと、同性愛者ということで世界から疎外されているセルビーという二人の孤独な女性の出会いから、殺人、逮捕、裁判が、シャーリーズ・セロンの演技によって絶えることのない緊張感を伴って語られます。

「殺さなくては生きてはいけない」という一人の売春婦の悲しい人生を通して、人の「生きること」の悲しさを見事に描き切っている映画でした。


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