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雑感や書評など

司馬遼太郎「関ヶ原 (中)」

2007-04-21 21:13:01 | 書評
今考えると、司馬遼太郎は家康が嫌いに見受けられるが、それでも「覇王の家」を書いたんだな。ちょっと不思議。司馬遼太郎の主人公と言えば、作者が惚れぬいた人物がなるのに


司馬遼太郎「関ヶ原」の中巻読了。

結果的には家康が勝利して天下を取り、三成は敗北して死罪となったのだから、もちろん家康の勝因と三成と敗因を物語中にこめなくてはいけないわけでして。

しかし、考えてみれば、五大老のうち、前田利家(83万石)は既に死亡。
残った大名は、宇喜多秀家(57万石)、毛利輝元(120万石)、上杉景勝(120万石)。
単純に考えても300万石近く。全て西軍。

東軍の領袖である家康の250万石を凌駕しているわけだ。

前田家は東軍に組したとは言え、家康の仕組んだ家康暗殺事件の嫌疑が面白いわけない。

さらには九州最強の島津が西に味方し、徳川秀忠の率いる大軍は真田によって阻まれていたわけで…………。

単純ではあるけれども、そんな条件を並べていくと、東軍の勝利って、薄氷だったんだなぁと思わないでも。


しかし、西軍が実際に勝っていたら…………それは作中の登場人物たちに述べさせているが、戦国時代に逆戻りしていたに違いない。
それは、それで「歴史に逆行した」とも言えるわけで。

家康の開いた幕府が、極めて重農主義で、進取の気風に富んだ戦国時代に比べて、非常に内向きな退嬰色の強い政策をとったのは歴史の事実でして(そんなわけで、明治維新で一気に近代化を成し遂げるという荒業をしなくてはいけなかった)。

それでも、二百五十年に渡って平和な政治状況をつくりあげたことも、また事実。

歴史のifは面白いけど、…………結論の出る話じゃないね。


しかし、石田三成の西軍は、家康が上杉と戦端を開くまで、どうして我慢できなかったのかね?

もし、そこまで我慢していたら、家康が二正面作戦、三成は挟み撃ちとなったはずなのに。

上杉を過大評価していたから?


上巻の感想。
司馬遼太郎「関ヶ原 (上)」

他の司馬作品の感想。
司馬遼太郎「燃えよ剣」


関ヶ原〈中〉

新潮社

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