すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

松本清張「砂の器 (下)」

2005-07-08 08:45:00 | 書評
犯人が分かっていると、面白さが半減するなぁ


松本清張「砂の器 (下)」。

前回は、この小説の「シンプルは、安っぽくはないです。個人的には、作品をサクサク読ませてくれる装置にすらなっております。」と書きました。
褒めました。

今回は、その「シンプル」の悪い点。

とにかく、偶然が多いです。はっきり言うと、ご都合主義。

まず「顔をつぶされた三木謙一の正体が明らかになるのは息子からの通報」というのは、まぁ、いいとするにしても。
 ・血痕のついた衣服を端切れにして車窓から撒いていた姿が、偶々エッセイとなり、偶々今西刑事の目にとまる。
 ・その撒いていた女性は、偶々今西刑事の近くで自殺する。
 ・その女性に入れこんでいた男性を、偶々今西刑事が目撃してしまう。
 ・関川の情婦が、偶々妹の経営するアパートに引っ越してくる。
 ・席の隣にいた防犯協会の話を食堂で偶々今西刑事が聞いて、完全犯罪解明の糸口を得る。
とりあえず、こんな感じ。他にもありそうです。

まっ、あんま重箱の隅を突いても仕方ないんですけどね(物語のほとんどは偶然を排除しては成立しませんからね)。


あと、らい病という設定も、そんなに活かされてないなぁ。
犯人の心情がほとんど描写されていないので、仕方ないのか?

作者としては、関川を犯人と読者に推理させたかったため、関川の記述は豊富なんですよね。だから、関川の人間性は、よく分かる。
一方、和賀はできるだけ背景に塗りこめてしまいたかったため、彼の心理や裏側については、あまり書かれない。だから、和賀のキャラについては、まったく浮かんでこない。

謎解きや大どんでん返しの仕掛けを重視した結果なんでしょうねぇ。

で、そんな関川についての今西刑事の感想。
 もちろん、今西栄太郎にはむずかしいことはわからない。また、近ごろの評論家の書く文章には、はじめからこちらが劣等感をもっている。知的に積みあげられた荘厳な文章なのである。何を言っているのか、今西などにはのみこめない。関川重雄のあの文章は、わかりやすくはあったが、それも果たして、文字どおりに受け取っていいかどうか、彼には自信がなかった。
 えてして、こういう評論家の書いているものには、文字の行間から、言わんとするところを察しなければならないようである。それを鋭敏に読みとらねば「日本語を知らない頭の悪い読者」と言われそうである。
松本清張「砂の器 (下)」224頁 新潮文庫
今西刑事ったら、仕事一筋かと思ったら、「こういう評論家の書いているものには、文字の行間から、言わんとするところを察しなければならないようである。それを鋭敏に読みとらねば「日本語を知らない頭の悪い読者」と言われそうである。」なんて、文壇にありがちな揚げ足取り合戦をよく知ってますね~。

というか、もろ松本清張本人の感想ですね。


中居正広版「砂の器」のような、犯人の孤独なんかを求めると肩透かしをくらいます。
が、シンプルな作品を久しぶりに味わいたい方には、よろしいのでは?


砂の器〈下〉

新潮社

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