すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

熊木徹夫「精神科医になる」

2005-01-30 08:52:29 | 書評
ゲッツ!


ブームが来て、ブームが去る。
家屋と家屋の隙間に、コスモ星丸の立て看板を見つけたときは、なぜか足早に立ち去ったものです。


熊木徹夫「精神科医になる」なんですが、僕はなぜこの本を買ってしまったのだろう。

タイトルそのまんまの本です。臨床の現場から得た知識だけではなく、言語学者のソシュールまで援用して、精神科医としての心得や診療方法について書かれております。精神科医療から離れることなく色んな問題が論じられておりまして、著者の仕事バカ振りが想像できる内容となっております。

ですが、精神科医を目指していない人間には、なんとも感想の書きようのない本でございます。


治療者と患者という二者関係は、その治療経過がはかばかしくなく迷走状態に陥ると、煮詰まって双方とも身動きが取れなくなってしまう。このような膠着をほどくのはいつも、シリアスな二人を斜め上から眺めている<誰か>である。この<誰か>は、いささかの諧謔を弄しながら、治療の場を相対化する手助けをしてくれる。力尽きそうな私の後ろを押してくれる。後で振り返って、治療がうまく運んだと思えるケースでは、たいていこの<誰か>が舞台の隅をかすめる程度に、しかも絶妙なタイミングで登場してきているのが分かる。(熊木徹夫「精神科医になる」158~159頁 中公新書)

なんとなく感想がつけれそうだったのが、引用した文章です。

この<誰か>とか、なんとなく推測できると思いますが、治療者であり治療者でなく、患者であり患者でなく、人間であり人間でなく、神であり神でなくというものです。
非常に理論的な人柄と思われる著者ですが、それでもこういう神秘的な考え方をするんですな。ユングの影響でしょうか? それとも人間の心理をあつかう職業だと、やはり同じような境地になるのでしょうか?

これが限界。


精神科医を目指す人には、一つの指針を示してくれる本なのでは?


精神科医になる―患者を“わかる”ということ

中央公論新社

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