すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

舞城王太郎「煙か土か食い物」

2005-01-27 07:23:20 | 書評
神として生きる


「舞城王太郎」という名前は、最近よく聞きます。「煙か土か食い物」が文庫になっていたので、手にとってみました。

「文体が独特で人を選ぶ」と言われておりますが、悪文ということはないんじゃないかな。スピード感を意識したもので、読みやすかったです。ただ、個性の強い独白調なので、やっぱり抵抗のある人は多いかも。

生きていても虚しいわ。どんな偉いもんになってもどんなたくさんお金儲けても、人間死んだら煙か土か食い物や。火に焼かれて煙になるか、地に埋められて土んなるか、下手したらケモノに食べられてまうんやで(舞城王太郎「煙か土か食い物」162頁 講談社文庫)

引用したのは、臨終間際の祖母の言葉です。
この虚無への誘いが主人公の四郎を苦しめ、そこから逃れるために、アメリカに渡って医者になります。つまりは人命を扱うという「神」になることで、自らを一段上に持ち上げ、下界の虚無から逃避するんですな。しかし、結局は「逃避」でしかないので、いずれは対決が避けられません。
その対決は、兄の二郎とすることになります。二郎もまた虚無から逃れるために「神」となり、異常者を操作して殺人を犯させます。つまりは「人を救う神」と「人を殺す神」との対決です。

もちろん罪は罪だが罪というものは許されなくてはいけなし罰なら誰にとっても十分に当たっていると言えるんじゃないのか?孤独と苦痛と不信と無感覚。これ以上の罰を与えるには証拠が不足しているし時間が経ちすぎている。(同書332頁)

で、その対決を経ることで、四郎は「許す」ことを得るわけですな。


サービス精神が旺盛なせいか、全体的にちょっと軽い印象が残ってしまうかもしれませんが、基本はミステリーなので、文体にアレルギーがなければ楽しめるのでは?


煙か土か食い物

講談社

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