私が知った日本の真実

現在の日本の状況について個人的にメモがわりにまとめたものです。
色んなサイトから勝手に引用しています。

韓国軍によるベトナム民間人大虐殺

2011-08-26 03:36:24 | 朝鮮人の嘘
韓国軍によるベトナム民間人大虐殺


韓国人は、ベトナムで現地人5万人をレイプして子供も生ませている

ベトナム戦争での韓国軍の蛮行、民間人虐殺

 存在しない慰安婦(実態は売春婦)やってもいない強制連行(実態は密入国)、ありもしない植民地支配(正しくは併合)でさんざん口汚く日本を罵倒するのがお好きな韓国ですが、彼らは自省という言葉を知りません.
 マスコミのねつ造した韓流ブームに踊らされるオバチャンたちは、ベトナム戦争での韓国軍による民間人大量虐殺、強姦についてご存じでしょうか?

米マスコミ、韓国軍の虐殺を報道
http://www.chosunonline.com/article/20000409000027

 米マスコミがベトナム戦争中に韓国軍がベトナム住民を虐殺したという主張を次々と報じている。『ワシントンポスト』紙は7日付の国際面でベトナム戦争当時、米軍の同盟軍として参戦した韓国軍が民間人を虐殺したと報道した。これに先立ち『ニューズウィーク』誌は4月10日最新号で、韓国軍が数千人にのぼるベトナム住民を虐殺したという内容を特集した。
 『ワシントンポスト』紙はAP通信のベトナム発の記事を引用し、1966年住民数が6000人余りのビンアンという村で1003人が韓国軍によって殺され、近郊の村でも653人が殺害されたと現地の官吏たちの証言を伝えた。
 同紙は、住民たちは韓国軍による虐殺を歴史として受け止めているが住民たちの主張を個別的に立証する手だてはないとし、韓国軍のベトナム住民虐殺が韓国ではかなり前から噂として流れていたが、どの歴史の本にもこのような攻撃行為が記録されてなく、過去の政府は公開的な討論やマスコミの報道を阻んだと報じている。
 また同紙は韓米両国の国防部はともに韓国軍のベトナム住民虐殺に対する論評を拒否しており、米国と韓国が戦時に数多くの残虐行為を行ったが今は前進していく時だというのがベトナムの公式的な立場だと付け加えた。

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
↓ニューズウィーク日本語版から.
NEWSWEEK WORLD AFFAIRS 

証言 私の村は地獄になった 韓国軍がベトナムで行った残虐行為の被害者たちが真実を語りはじめた

ロン・モロー(バンコク支局長)
 今から33年前の1967年4月1日。グエン・バン・トイはびくびくしながら、ベトナム中部フーイェン省の水田で働いていた。
 当時、この地域では韓国軍が大規模な作戦を進めていた。韓国兵は農民を力ずくで追い立て、南ベトナム政権の支配下にあった沿岸部に無理やり移住させていた。
 だが、多くの村人は移住を嫌がった。トイのビンスアン村を含む5カ村からなるアンリン郡の農民も、先祖代々の土地を捨てるのは気が進まなかった。
 トイが農作業を続けていると、いきなり機関銃の銃声と手榴弾の爆発音が響いた。音がしたのはビンスアン村の方角。トイはあわてて身を隠し、あたりが暗くなるまで動かなかった。
 村に戻ったトイが目にしたのは、身の毛もよだつ光景だった。家は黒焦げになり、少なくとも15人の村人が血の海に倒れていた。多くの遺体は銃剣で腹を切り裂かれていたと、トイ(71)は言う。
 そのなかには、トイの妻と3人の子供の遺体もあった。生後4日の末の子は母親に抱かれたまま、背中を撃ち抜かれていた。4歳の娘ディエムは銃弾を5発受けていたが、奇跡的に命をとりとめた。
 トイは遺体を近くの防空壕に運び、入り口を泥で覆った。ここが、そのまま墓になった。トイも他の村人も、「あまりに悲しすぎて」犠牲者を改葬する気にはなれなかったからだ。

理由なき無差別の殺戮

 韓国軍がベトナムに派兵されていたのは1965~73年。こうした残虐行為のねらいは、ベトナム中部の3省(ビンディン、クアンガイ、フーイェン)から農民を移住させて人口を減らし、ベトコン(共産ゲリラ)の勢力伸張を阻止することにあったようだ。
 現地の自治体当局者によると、立ち退きを拒否した人々は、韓国軍の手で組織的に惨殺されたという。しかも犠牲者の多くは、老人や女性、子供だった。
 歴史の闇に葬り去られていた虐殺の事実に再び光が当てられたのは、勇気ある韓国人研究者、具秀ジョン(ク・スジョン)が行った調査のおかげだ。彼女は韓国軍による大量虐殺の詳細を記録したベトナム政府の文書を発見した。
 生存者の証言によると、虐殺は理由なき無差別殺人であり、多くはベトコンとの戦闘が行われていない時期の出来事だった。
 グエン・フン・トアイ(46)もビンスアン村の虐殺と同じころ、アンリン郡の別の村で危うく殺されかけた。
 当時13歳だったトアイは、韓国軍が家に近づいて来るのを見てすぐに逃げた。近くの畑に隠れて見ていると、韓国兵は村の家に次々と火をつけ、母親と祖父母、弟と妹、そして近所の人々に暴行を加えたという。
 韓国軍は、トアイの家族を含む11人ほどの村人に銃剣を突きつけ、防空壕に追い込んだ。残りの12人ほどは、穴の外に立たされた。次の瞬間、何の前ぶれもなく銃声がとどろき、手榴弾の爆発音が空気を引き裂いた。トアイはとっさに頭を隠した。
 硝煙が消えたとき、すでに韓国軍の姿はなかった。トアイは急いで家族がいた場所へ行った。
 防空壕の前には、穴だらけになった血まみれの死体が並んでいた。防空壕の中も、誰かが生きている気配はまったくなかった。トアイは恐怖に駆られて逃げ出した。戦争が終わった後も、ここへ戻ることはできなかったという。

見つかったのは肉片だけ

 「みんな、村を離れたくなかった。私たちにとって、家や土地や水田はかけがえのないものだ」。トアイはそう言って泣きだした。「でも、立ち去るのを渋った人間はみんな殺された。連中は村をめちゃくちゃに破壊してしまった」
 こうした残虐行為の結果、多くの人々がベトコンの陣営に加わった。67年、16歳のときに父親を韓国軍に殺されたブイ・タイン・チャムもその1人だ。
 チャムは数人の韓国軍がアンリン郡の家に押し入る直前、裏口から脱出した。韓国兵は70歳の年老いた父親を捕らえ、防空壕に押し込むと、すぐに手榴弾を投げ入れた。チャムは日が暮れてから村にこっそり戻り、崩れた避難壕を掘り返したが、「肉片しか見つからなかった」という。
 それから数週間、物ごいをしながらさまよったチャムは、山岳部にこもっていた共産ゲリラに加わる決意を固めた。「父を殺した奴らに復讐したかった。韓国兵が村でやったことを見た以上、そうせずにはいられなかった」
 グエン・ゴク・チャウは83歳になった今も、憎しみを忘れていない。67年5月22日、フーイェン省ホアドン郡のミトゥアン村で農業をしていたチャウは、たまたま親戚のいる近くの村に出かけていた。
 そこへ前夜、韓国軍が村を攻撃したという知らせが届いた。大急ぎで帰ったチャウが目にしたのは、村人が井戸からバラバラになった遺体を引き揚げている光景だった。犠牲者のなかには、妊娠中の妻と4人の子供も含まれていた。

「首を切り落としてやる」

 虐殺を隠れて見ていた老人の話では、韓国兵は女性や子供を井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだという。チャウは、盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った。
 「殺されたのは女や子供ばかりだ。共産主義者なんかであるわけがない」と、チャウは言う。「韓国人は人間じゃない。目の前に現れたら、首を切り落としてやる」
 ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではない。アンリン郡から海岸沿いに北へ向かえば、68年に米軍部隊が500人以上の村人を虐殺したクアンガイ省ソンミ村がある。
 それでも戦争体験をもつフーイェン省の村人の間では、米兵の評判は必ずしも悪くない。地方公務員のファム・トゥ・サン(47)は66年のテト(旧正月)のとき、米兵と一緒に遊んだりチューインガムやキャンディーをもらったことを今も覚えている。
 だが米軍はこの年、フーイェンから引き揚げ、代わって韓国軍がやって来た。それから「67年のテトを迎えるまで、韓国軍は殺戮を続けていた」と、サンは語る。「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった」と、今は地元の退役軍人会の会長を務めているチャムも言う。
 アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。韓国兵は残忍なやり方で女性をレイプしてから、殺すケースが多かったからだ。
 こうした残虐行為が明るみに出てきたことに、ベトナム政府は神経をとがらせている。
 虐殺があったこと自体は、政府首脳も承知している。だがベトナム当局は、虐殺事件の報告書が国内で発表されることは望んでいない。友好関係にある韓国政府はもちろん、ベトナムに莫大な投資を行っている大宇や現代、三星といった韓国財閥の不興を買うことを心配しているからだ。

補償より謝罪の言葉を

 さらに政府当局には、観光客としてベトナムを再訪する韓国の元兵士が増えている状況に水を差したくないという思いもある。だが、韓国軍の残虐行為を目の当たりにした地元の当局者は、観光や経済発展のために真実を隠すべきではないと考えている。
 地元が望んでいるのは、韓国政府の公的な釈明だ。たとえば韓国側から謝罪や罪を認める発言があれば、両国の絆はむしろ強まると、地元の人々は考えている。
 「韓国軍は、この地域にかつてない災厄をもたらした。犠牲者は銃を持てない老人や女性、子供たちだ」と、フーイェン省のある当局者は言う。「私たちが望んでいるのは、物質的な補償ではない。それよりも共感と友好の姿勢を示してほしい。犠牲者が過去を忘れられるように」
 韓国軍のために流された罪なきベトナム人の血の量を考えれば、なんとささやかな要求だろう。
ニューズウィーク日本版 2000年4月12日号 P.24
 どこかの国と違って、国民性でしょうか、「賠償はいいから、ただ謝罪して欲しい」というベトナムの人々の謙虚な思いに胸を打たれるとともに、韓国という隣人を持った日本の不幸を嘆きたくなります.
因みにベトナムは、東南アジアでは唯一、儒教文化を持った歴史的背景を持ち、企業の投資先として推薦されているほどですから、国民性も推して知るべしです.

patriot1968の憂国ブログhttp://clownfish.blog.ocn.ne.jp/patriot1968/2007/11/post_4306_1.htmlより転写

10万人の民間人を虐殺した韓国

2011.08.11 参議院 予算委員会 西田昌司:二つの献金、最後まで明らかにせず

2011-08-11 21:25:48 | 菅直人
2011.08.11 参議院 予算委員会 西田昌司:二つの献金、最後まで明らかにせず


36:30より必見

菅直人が公表した収支報告書を、西田昌司(税理士)が検証した
そうしたら、なんと収支が合わずにマイナスになっていることが判明
ご存知、北朝鮮系テロ組織へ個人で6250万円
民主党全体で2億5000万円もの献金を行っている
そのことを追求したところ、菅直人は

 「どうして?」

と延べた
菅直人は、元財務大臣でありながら、複式簿記すら理解していないことが露呈した
あまりのお粗末さに会場は爆笑の渦に




緊急のG7会合、菅首相に連絡なし 日本は受け身で参加  :日本経済新聞 http://s.nikkei.com/n0SVSV

オバマ米大統領は5日、サルコジ仏大統領、メルケル独首相と電話協議。
欧州各国首脳も互いに連絡し、対応を話し合った。これに対し、菅直人首相は連絡を受けておらず、「協議に加わる予定は今はない」(首相周辺)。




G7会合開催へ、菅直人首相に連絡なし・・・・



週明けから、金融市場や株式市場の混乱が予想されたのに、
菅首相は財務省や日銀の関係者を呼んで、
対応を協議することもしないのだろうか。


リーマンショックの後、
当時の麻生太郎首相と中川昭一財務相は
夜中の3時、4時でも電話で連絡を取り合い、
昼間も会って必死に対応していたのに…」

と不安を吐露した。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110808/plt1108081220001-n1.htm




【民主と北朝鮮】菅に引導!“北献金”の闇を暴く

2011-08-05 10:25:06 | 菅直人
菅に引導!“北献金”の闇を暴く! 菅直人首相の北朝鮮絡みスキャンダルで、平壌近郊の「日本革命村」の存在が注目


菅直人首相の北朝鮮絡みのスキャンダルで、平壌近郊にある「日本革命村」の存在が
注目されている。菅首相らが多額の献金をしていた政治団体と一体の「市民の党」が今
年4月、東京・三鷹市議選に擁立した拉致事件容疑者の親族が生まれ育った場所だ。こ
の革命村では、よど号ハイジャック犯と日本人妻ら家族8世帯が暮らし、日本を“金日
成主義化”するための革命教育が行われていた。革命村で毎朝唱えられていた「10の
誓い」とは-。

 「菅首相はこうした実態を知っているのか。知っていれば、国家や国民に対する裏切
り行為であり、知らなくても、革命に手を貸したという政治的責任は免れない」
 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)会長で、東京基督
教大学の西岡力教授は、夕刊フジの取材にこう語った。

 国会内外で問題となっているのは、菅首相をはじめとする民主党の国会議員や地方
議員の資金管理団体などから、拉致事件で国際手配されている森順子容疑者と、よど号
ハイジャック犯の故田宮高麿元リーダーを両親に持つ長男M氏が所属する「市民の党」
など関連3団体に多額の政治献金がなされていたスキャンダル。その額は菅首相の
6250万円を筆頭に、計2億496万円にも上っている。

 「菅民主党と北朝鮮の闇」は「8月政局」の焦点の1つにも浮上しているが、その
真相を探るなかで注目されているのがM氏が生まれ育った「日本革命村」だ。




日本革命村は、平壌中心から車で約1時間、三石区域元新里の大同江沿いにあり、
田宮元リーダーなど、よど号ハイジャック犯の家族8世帯が生活。革命村本部の周囲に
は、射撃練習場や格闘技場、研究所、アパートなどがあり、金正日総書記直轄の連絡部
56課の指導のもと、家族全体で日々、革命教育が行われていたという。

 よど号犯の故柴田泰弘メンバーの元妻で、革命村で暮らした八尾恵氏は自著『謝罪し
ます』(文藝春秋)で、革命教育の実態や拉致事件への関与とともに、革命村で毎朝、
全員で唱えていた「10の誓い」=別表参照=を全文掲載している。
 そこには、「日本を金日成主義化するため青春も生命も捧げて闘う」「金日成同志の
教示と金正日同志の教えを無条件、徹底して遂行する」「組織の秘密を命懸けで守りな
がら活動する」「日本革命の偉業を代を継いで最後まで継承し完成させていく」などと
ある。
 つまり、日本を金日成主義化する革命は命がけで遂行され、よど号犯世代だけでな
く、子孫にも受け継ぐとの決意を誓っているのだ。

 M氏ら、よど号犯の子供たちは現在、16歳から34歳まで20人で、2009年ま
でに全員が日本に帰国した。日本国籍を回復し、東京や大阪などで仕事に就いたり、
学生生活を送っているとされる。
 「市民の党」の代表は産経新聞の取材に「10年ほど前に訪朝し、よど号犯や家族と
接触、その縁でM氏との繋がりができた」と、よど号関係者との親密な関係を認めてい
るという。

 菅首相は疑惑の献金について、「ローカル・パーティーとの連携のため」「そういう
(=北朝鮮と関係がある)団体とは承知しなかった」などと国会で答弁しているが、6
250万円もの大金を、よく知らない団体に献金するものなのか。そもそも、菅首相は
1989年、北朝鮮の元工作員で拉致実行犯である辛光洙(シン・ガンス)元死刑囚の
釈放を求める韓国政府への「要望書」に署名している。

前出の西岡氏は「菅首相の国会答弁は納得できない。どうして、北朝鮮と関係が深
く、革命を後押しするような政治団体に多額のお金を渡していたのか。動機、目的が分
からない。もっと明確に説明してほしい」と語る。

 「菅民主党と北朝鮮の闇」を追及するため、自民党は「菅首相拉致関係献金疑惑プロ
ジェクトチーム」(PT)を立ち上げ、超党派の「拉致救出議員連盟」も調査特別委員
会を設置した。

 閣内でも、中野寛成拉致問題担当相が2日、「(菅首相には)明快なケジメが必要
だ。ケジメとは疑問に答えること。拉致被害者家族が心配し、憂慮している。その気持
ちに応えることが必要だ」といい、説明責任を果たすよう求めた。

 一体、この闇はどこに続いているのか。



【北朝鮮・日本革命村10の誓い】

1、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の革命思想で日本を金日成主義化するた
め青春も生命も捧げて闘うことを誓います。

2、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志を忠誠の一
心を持って高く仰ぎ戴くことを誓います。

3、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の権威と威信を絶対化し、首領様を擁
護、防衛するために親衛隊、突撃隊、決死隊になることを誓います。

4、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の革命思想を信念化し、首領様の教示を
信条化し日本革命勝利のため、社会主義・共産主義偉業のため最後の血の一滴まで捧げ
て闘うことを誓います。

5、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の教示と親愛なる指導者金正日同志の教
えを無条件、徹底して遂行し、任務を貫徹することを誓います。

6、我々日本革命家は、日本革命の指導者である田宮同志を中心とする全党の思想的意
思統一と革命的団結を強化することを誓います。

7、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志に学び、共
産主義的風貌と革命的活動方法、人民的活動作風を所有、体得していくことを誓いま
す。

8、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志から授かっ
た政治的生命を大切に守り、首領様の高い政治的信任と配慮に高い政治的自覚によっ
て、忠誠心で応えていくことを誓います。

9、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志と親愛なる指導者金正日同志の唯一的指
導の下に、組織の秘密を命懸けで守りながら活動することを誓います。

10、我々日本革命家は、偉大な首領金日成同志の導きの下、日本革命の偉業を代を継
いで最後まで継承し完成させていくことを誓います。

(以上)


ベトナムじゃ何万人もレイプの子が誕生した
日本でも3万人の朝鮮進駐軍が暴徒化したというから、連中に産まされた子はベトナム以上ではないか
あの時、朝鮮人は日本軍の武器を持っていた
GHQがそれを許してた、やらせていたと考えるのが自然だろう
強姦されようが、殺されようが、銀行から金を持っていかれようが、土地を奪われようが見ているしかなかった

何故かと言うと丸腰の上に ■ 日本に統治権がなかった ■ から
犯罪者を捕まえて罰するとかそういう権利がサンフランシスコ条約締結まで日本には無かった
だから朝鮮人は目についた婦女子を路上で集団強姦し、物陰に引きずり込む必要すら無かった
極めつけは1946年の朝鮮進駐軍2000人部隊による首相官邸襲撃事件だろう

ところで、今だに日本人に主権(統治権)が無いような気がしませんか?
朝鮮進駐軍から日本の政治家になった者が多数いるとのことですが


■ソース(夕刊フジ)(ジャーナリスト・田村建雄と本紙取材班)
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110803/plt1108031605005-n1.htm


http://logsoku.com/thread/raicho.2ch.net/newsplus/1312359309/



■この「日本革命村」で育った、よど号ハイジャック犯リーダー田宮高麿と森順子の息子・森大志が
「市民の党」今年の統一地方選で三鷹市議選に立候補しました(幸い、落選)

母親の森順子は、55年に石岡亨さんと松木薫さんを欧州から北朝鮮に拉致したとして、結婚目的誘拐容疑で国際手配されている


■市民の党・めざす会に8年で3億8千万!

 民主党の国会議員だけでなく地方議員も
 拉致の北朝鮮に近い政治団体とズブズブの関係にある民主党政権!

http://hanausagi2.iza.ne.jp/blog/entry/2347518

■朝鮮総連の下部組織にあたる在日朝鮮青年商工会の幹部企業のビルに
北朝鮮との密接な関係が疑われる「市民の党」が入っているんですね

■2004年の民主党のパーティーに献金した「在日本朝鮮青年商工会中央常任幹事会」の代表は、具本憲氏

具本憲氏は、「市民の党」が入っている「千代田区平河町1-3-6 龍伸ビル」の現オーナー

この龍伸興業のオーナー 具本憲氏は在日本朝鮮青年商工会第7期中央会長
(第6期から歴任)であったことがわかります。

そして、「朝銀の陰の理事長」や「北朝鮮送金王」などの異名を持つ街金業者の具次龍 氏
は以前「龍伸興業」の経営者で、具本憲氏のお父さんではと推測されている