summer diary

日記らしきページ

いよいよ梅雨入りか・・・

2024年06月21日 | Weblog
 昨夜からの雨は降り続いている。 予報では午後からは雨も止んで、晴れ間も出る予報だ。 梅雨時期に困るのは洗濯物である。 この時期の晴れの日には気温も高く、乾燥しているので、朝干すと午後には完全にパリパリに乾いている。 
雨の日には外に干す事が出来ない。 部屋干しでは乾く事など無いので、浴室乾燥をするか、コインランドリーに行くか・・・であるが、浴室乾燥も干せる量に限界がある。 コインランドリーに毎回行くのも費用が掛かる。 今日は洗濯をしたが、部屋で干して居る。 午後になったら雨も止んで晴れ間も出る予報なので、午後になったら外に出す事にしよう。 
まっ、これから梅雨入りに成ったら洗濯物を外でパリッと乾かせる事はしばらくは諦めるしか無いだろう。 
今年の梅雨は短くなるだろう。 梅雨入りが遅くても、梅雨明けが遅くなることも無いだろう。 おそらく、2週間程度で梅雨が明けるだろう。 

さてと、今日もバイトは無いし、出かける用事も無いし、と言う事で、もちろん、それも毎日の事であるが。 ギターを弾いて、こうしてブログを書いて、少しTVを見て、Audibleで朗読を聴いて、それと、今日は本も読み終えることも良いだろう。 
今、Audibleでは毎日聴いている小説がある。 畠山健二著 「本所おけら長屋」である。 すでに15巻のその参まで聴き終えた。 1巻は3話から4話構成なので、これまで50話以上を聴いている事になる。 江戸時代の庶民、特に貧乏長屋での出来事を面白おかしく、さらには人情溢れる物語で綴られている。 朗読だが、登場人物に合わせてナレーターが何人かで登場するので、とても良く出来ている。 この作品はIBC岩手放送「ラジオ文庫」で放送されたラジオドラマ を再編成して居るとの事で、実際の放送との違いは知らないが、1話が60分前後であり、1話毎に途切れることもなく聞き終える事が出来る。 これぐらいの短編の方が聞いていても疲れないし、途中で中断する必要も無く、家事をしたり、食事をしている時間に聞き終える事が出来る。 
昨日は図書館で本を4冊借りて来た。 手元にはまだ2冊未読の本があるので、6冊分がある事になり、1冊は半分程度読み終えているし、これはすぐに終えるだろう。 
その本だが、諸田玲子の時代小説である。 それと、梶よう子の時代小説だ。 
時代小説は他の作家などでもシリーズ物として続いて居る小説が多い。 
本所おけら長屋もシリーズとして続いて居る事であるし、剣客物の多くはシリーズとして続いて居る時代小説が当たり前になっている。 辻堂魁、番大介、坂岡真、上田秀人、知野みさきなどもそうだろう。 それに比べると、山本周五郎、藤沢周平などはシリーズ物はほとんど書いていない。 もちろん、シリーズではないが、同様の題材というか、そうした短編を集めた本も多くあるが。 
時代小説には大きく分けて二つの分野と言うか、内容がある。 一つは庶民の生活を中心とした江戸時代や江戸に住む職人や商売人、貧乏人や大店の人情物語である。 
もう一つは剣客、刺客、剣豪や侍、幕閣、幕府、同心などの捕り物である。 剣客物はもちろん、斬り合いの表現も有るし、辻斬りや果たし合い、道場物などである。 
最後は悪が斬り殺される事になるのだが。 もちろん、その内容には人情も有るし、人との繋がりや絆や、時には恋などもある。 
時代小説のほとんどは江戸時代であり、物語は江戸での話である。 時代小説を読んでいて、当時の江戸も今の東京とそれほど変わる事が無かったと感じる事が多い。 
もちろん、今の様にお金が無くては生きていけないのは同じだが、それでも貧乏長屋では人々が協力して支え合って生きる事は当たり前になって居た。 今の時代とは大きく違って居るのは、電気料金や水道代、ガス代などもほとんどただ同然で手に入れる事が出来る。 長屋の店賃も数ヶ月でも未払いでも簡単には追い出されないし、食べる物は米があればなんとかなる。 着物だって今の様に何枚も必要無いし、銭湯も格安で、江戸の庶民は日に何度も風呂に入ることも当たり前だった。 特に早朝から棒手振りなどで働く人々は朝の一仕事終えると風呂に入ってさっぱりして、再び仕事をすることも珍しい事ではない。 
それと、今の様に電気もないので、仕事は日が出る朝から日が沈む夕方までと決まって居た。 もちろん、茶屋や蕎麦や、飯屋、遊郭などは別だけど。 それでも、それほど遅くまでは店を開ける事は無い。 
同心なども夕刻の4時には退出するのである。 なので、今よりも労働時間は短いし、健全な生活をしていたのだろうと思う。 
私が時代小説が好きになったのは、昔から読んで居た文学的な小説がほとんど無くなったと思ってからである。 現代小説はどうも好きになれない。 恋愛物や推理小説や政治的な物や刑事物、サスペンスなどなど・・・。 どうも現代と言う背景での出来事は白々しい。 なんでだろうか? 今の時代にはいろんな事がありすぎるし、現実がそのまま多くの物語となって居る。 恋愛の話も、そこからいろんな事件が始まる事や、裏切りや、優しさも、むなしさも。 詐欺や殺人も当たり前になりつつある現代で、そのまま現代の出来事を読んで居ても、なんにも楽しく無い。 
逆に物語の内容の展開が白々しい気がしてくるのである。 昔の作家(夏目漱石、志賀直哉、太宰治、芥川隆之介・・・・などなど)の小説はそうした白々しさは感じない。 これもやはり現代的な背景とは違っているからだろう。 江戸ではないが、大正、昭和の初めの戦前の話は、今の日本とは違っている。 
そして、何よりも、その時代の良さを彷彿とさせている物語が多くある。 人間の本質と言うか、真実と言うか、素直な心根が表現されている。 なので、時代小説と同じ感覚を持てる。 と言うか、持っていた気もする。 
私が現代小説を読みたく無くなったのも、時代小説を好きになったのも、若い時に多く読んだ小説の影響かもしれない。 
物語の流れだけでは無く、文体や言葉、展開もそうだが、作家の意図する所は言葉や物語性では無い。 もちろん、そうした文字である以上はその文字が表現する事なのであるが、良い小説は言葉の奥に隠れている、否、文章の、行間にある空気が教えてくれる真実を感じる事が出来る物だ。 
これが文学と言う物だと私は若いときに実感していた。 小説に限らず、詩や短歌や俳句も同じだろう。 文字(言葉)を使って表現する事はその文字が持っている意味では無く、文字と文字が生み出す雰囲気と言うか、文字と文字が重なり、補い、絡み合い、繋がって生まれる真実を感じる事だろう。 
そうした物を表現する事は簡単では無いし、今の時代を背景とする時には何が真実なのかを定める事なども難しい。 なので・・・。 

さて、午前中にギターを弾いて過ごして、今日も午後からは少し昼寝でもしてのんびりと過ごそうか。 明日はバイトだし、何処に出かけると無駄な物を買ったりするし。 
のんびりとギターを弾いて過ごす事が一番だろう。 そうそう、今日は筋トレも予定している。 バイトでは無いが、今日は3日目なので、今日の筋トレは予定通りだ。 明日はバイトなので、今日は軽めで、明日も別の部位をトレしてバイトに出かけよう。 









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