鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

七夕豪雨から50年

2024年08月21日 | 議会活動
令和6年8月21日(水)

 最近、全国各地で豪雨災害が頻発し、大きな被害が発生しています。
 地球温暖化に伴う気候変動の影響により、洪水や土砂災害といった水災害の激甚化・頻発化が懸念されています。今年は七夕豪雨災害から50年の節目の年となります。過去の災害に目を向けるとともに、今一度、日頃の備えを確認する必要があります。

 県の資料によると、昭和49年(1974年)の7月7日から8日にかけ、台風第8号の影響により猛烈な豪雨が県内を襲いました。広範囲に降り注いだ雨は、県内各地で河川の氾濫や決壊、土砂災害を引き起こし、その被害は床上浸水が26,452棟、床下浸水が54,092棟、死者44人、負傷者241人という甚大なものでした。一晩で508ミリの降雨量を記録した静岡市内では、安倍川流域や巴川流域を中心に特に大きな被害が出ました。

 七夕豪雨では、私の地元富士市においても、市内全域にわたってこれまで例がないほどの被害が出ました。特に、愛鷹山ろく地帯に降った雨は、土砂や木を押し流し、江尾・神谷地区に大きな被害を与えました。死者1人、床上浸水980戸、がけ崩れ37箇所などの被害が出ています。

 さらに、2年後の昭和51年8月9日の集中豪雨は、私の住む地域が集中豪雨に見舞われ、当時小学生だった私の記憶には鮮明に当時の様子が残っています。
 当時の記録によると、この日、昼過ぎから降り始めた雨は、山間部で299ミリ、平野部で203.5ミリの総雨量と94ミリの時間雨量を記録しています。市内の至る所で護岸が壊され濁流が民家を襲いました。
 私が住む地域には、愛鷹山と富士山の境付近を流れる赤渕川があり、根方街道と赤渕川が交差する地域は富士岡地区といい、赤渕川沿線には同級生が何人も住んでおり、親戚もありました。

 災害発生後は、父が消防団出身だったこともあり、何か支援できることはないか父に同行し、現場の豪雨災害を目の当たりにしました。親戚や同級生の住むあたりも被害が出ていましたが、幸いにして皆さん無事で、安堵した記憶があります。しかし、あの時の緊張感は、被災者やその身近な立場の人であるからこそ抱けるものだったと強く感じました。

 この災害では、その日のうちに災害救助法が適応され、翌日から災害復旧に立ち上がりました。愛鷹山麓を走る岳南鉄道の須津川鉄橋が豪雨によって破壊されたことも後で知り、改めて豪雨災害の怖さを実感しています。

 豪雨災害は、最近頻発していることは事実です。温暖化が原因と言われていることも理解できます。しかし、半世紀前にも豪雨災害は発生していて、当時から指摘されていたのは上流部の荒廃林や脆弱な河川の防災インフラでした。また、がけ崩れ対策も十分でなく、災害が発生しやすい状況だったといえます。
 七夕豪雨や本市の昭和51年集中豪雨災害以降は、防災設備が整備され、今日までの集中豪雨でも持ちこたえています。

 しかし、今後の安全が保証されていることはなく、過去に発生したこの地域での災害を教訓に、豪雨時の避難対策などを各個人が自覚して進めることが必要です。
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