鈴木すみよしブログ

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江原素六翁生誕180周年没後100周年記念式典

2022年05月17日 | 議会活動
令和4年5月17日(火)

 沼津市が誇る郷土の偉人、江原素六翁の生誕180周年、没後100周年の記念式典が沼津市のプラザヴェルデにて開催され、出席してきました。


(式典の様子)


(献花)


(駅前に建つ銅像)

 江原素六は1842年に幕臣江原源吾の長男として江戸で産まれ、貧しい武士の家に生まれたことから内職を手伝いながら、周囲の人々の援助と強い向学心により、講武所で砲術の教師を務め、幕府陸軍の隊長を務めるなど出世しました。
 明治維新の激動の時代、戊辰戦争の船橋の戦いでは撤兵隊長として従軍し、負傷するも住民に助けられ、その後1856年に沼津に移り住みました。

 沼津では戦争に参加し負けた経験から、兵の教養が重要と認識して兵学校を設立するなど尽力し、その後、海外視察団に加わり米国にて学んだことが、後の沼津発展の礎になりました。

 米国視察では、特に農業への関心が高まり、愛鷹山麓での牧畜や茶の生産と海外への輸出などを通じ、沼津の産業の礎を築いたとされます。
 愛鷹山の農耕地はその後、国有地になってしまい、住民の農業への支障となりましたが、住民らの支えにより県議会議員を経て衆議院議員になり、愛鷹山の土地を国から取り戻した政治家としての功績が評価されています。
 さらに大きな功績として、教育に対するものがあります。沼津兵学校をはじめ、集成舎という現在の沼津市立第一小学校の前身を設立、沼津中学校、駿東高等女学校(現在の県立沼津西高等学校)のほか、東京の麻布中学を創立し、終生校長を務めるなどしています。

 私は沼津市民ではありませんが、江原素六のことについては若い頃から名前だけは知っており、今回の記念式典において、主催者をはじめ多くの方々がその功績を語る中で、沼津が誇る偉人として理解できました。
 地元の小学校では20年以上前から、江原素六翁の功績と生き方を学ぶ郷土学習が続けられているそうで、自分たちが翁の功績などを調べた結果を、発表する会なども開催しているそうです。

 江原素六は、徳川家康公を尊敬し、その生き方を参考として人生を送ってきたそうです。静岡県との縁、沼津の地にこだわったのも、徳川家康公の存在があったことも想像できます。

 今回の記念式典を主催したのは、公益法人江原素六先生顕彰会で、毎年、この5月に彼の功績を偲ぶ顕彰会を開催し、彼の足跡を後世に残し、感謝する機会を継続しています。これまでに、埋もれていた彼の功績や沼津での暮らしなどを調査・発掘しそれを世に発表しています。
 記念式典には、行政関係では県知事、県教育長、沼津市長が、産業界からは商工会議所や農協、地元企業代表などが、教育界からは、沼津西高等学校、麻布中学・高校関係者が出席し、江原家の子孫などが一堂に集まり、彼の功績をたたえ忍ぶとともに、私も江原素六翁の遺影に献花の機会をいただきました。

 式典終了後には、沼津駅北口に新たに設置された銅像除幕式と献茶式が行われ、これからも江原素六翁は長くこの沼津市を見守っていくことになります。
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