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砂川闘争から60年 「60年前の有罪判決は無効」と、安保と闘いつづける人物

2021-05-09 21:28:12 | 報道

 

(5月9日付東京新聞から抜粋:内容がわかりやすいように、一部太字にしたりしています)



60年前の有罪判決 今も無効訴え

「あの裁判は日米両政府によるいかさまだった。それを明らかにすれば、在日米軍、日本の安全保障のあり方も変わる。」拳を振るっての熱弁は、学生運動に打ち込んだ往年の姿をほうふつとさせる。人生の最終盤に差しかかった今、約60年前に下された有罪判決が無効だと訴えている。その原動力は、戦争反対への強い思いだ。
 東京都立川市。いま国営昭和記念公園が広がる場所には、かつて米軍基地があった。1950年代に浮上した拡張計画を巡り、「砂川闘争」と呼ばれる激しい反対運動が展開された。当時大学生で学生運動のリーダー格だった土屋源太郎(86)も、連日のように通った。57年、拡張のための測量を阻止しようと、フェンスを越えて基地内に踏み入った。機動隊ともみあいになりながら、米軍の軍用車から機関銃を向けられた。それでも抗議活動は止まらず、拡張は中止された。

「在日米軍は違憲」の一審破棄され

 土屋たちは旧日米安保条約に基づく刑事特別法違反容疑で逮捕、起訴された。「司法には何も期待していなかった」という土屋の予想を裏切り、東京地裁は59年、在日米軍が憲法9条違反だとして無罪判決を言い渡した。在日米軍を違憲と指摘した唯一の判決は、裁判長だった伊達秋雄の名を取って「伊達判決」として知られる。

伊達秋雄 - Wikipedia
(判決当時の伊達裁判長)



(中略)
検察側は即座に最高裁に跳躍上告した。最高裁は、高度な政治判断には司法が是非を示さない「統治行為論」を持ち出し、一審判決を破棄し、差し戻し判決を下す。差し戻し審は土屋たちに罰金二千円の有罪判決を出し、63年に確定した。
(中略)

「日米両政府のいかさま 許せない」

2008年、新事実が判明した。伊達判決後の1959年、最高裁長官だった田中耕太郎が、マッカーサー大使ら米側に、判決前にもかかわらず見通しを伝えていた。大使が米国に打電した電報が、米公文書館で見つかった。(このニュースに関する動画を投稿の最後に加えました)
 中立であるべき司法機関のトップが米側とつながっていたことに、土屋の腹は煮えくり返った。半世紀前の記憶が一気によみがえった。「やっぱりグルだったか。絶対に許せない」。
 有罪判決で自身の名誉をけがされたことよりも、画期的な伊達判決を踏みにじられた悔しさが強かった。最高裁に破棄された伊達判決の意義を伝えることに、残りの人生をささげようと決意した。
(中略)
沖縄への基地集中 悔やむ

何が土屋を闘争に駆り立てるのか。「伊達判決を受けた被告としての誇りがある。それに、自分たちの闘争が結果として、沖縄に基地を集中させてしまった。」
 砂川闘争に限らず、1950年代には日本各地で米軍基地への反対運動が起きた。本土から基地がなくなっていった一方で、米軍統治下の沖縄に集中した。
(中略)
 反対運動で本土から米軍基地を減らしたのだから、今度は沖縄から本土に基地を持っていって―。10年に訪れた沖縄で60歳くらいの女性に問い詰められ、返す言葉がなかった。自らが沖縄に基地を集中させた一端を担ったと思うからこそ、今の争いを通じて基地撤廃を願う。「自分たちへの有罪判決が間違いだったと国に認めさせれば、米軍基地を違憲とした伊達判決がよみがえる。それは沖縄から基地をなくすことにつながる」と考える。
(中略)

戦争反対 学生運動から変わらず

 54年に米国による水爆実験「ビキニ事件」が起きると、米大使館前で抗議活動をした。その後の砂川闘争に加わったのも、基地拡張が爆撃機を飛ばすための滑走路延長だったから。戦争反対への思いは当時も今も変わらない。

安保問う闘い 終わらない

 国を相手取った裁判には、新たな動きも出ている。国はこれまで、田中(米軍と打ち合わせをして、伊達判決をひっくり返した最高裁長官)の言動を記した米側文書について、知らぬ存ぜぬで通してきた。ところが、東京地裁は今年1月、文書が存在するかどうか米側に確認することを決めた。裁判所としては異例の対応だ。
(中略)
 砂川事件の最高裁判決は、政府が14年に集団的自衛権の行使を容認した際にも根拠に挙げられた。
今と無関係ではない。「裁判の行方は、日本の安全保障体制全般にも影響を与える。あの最高裁判決以降、日本に司法の独立はなかった。俺の闘いは終わってないんだ。結果を見届けるまでは絶対に死ねない

(以上、東京新聞記事より)

なお、この記事を裏付ける、以下のようなビデオがあります。

司法が許した政治介入〜砂川事件と最高裁長官〜



伊達判決「米軍基地は憲法違反。被告は無罪」

国はこの判決を早くひっくり返す為、高裁を飛び越して最高裁に「跳躍上告」


国の思わくどおり、最高裁が一審の伊達判決を破棄

「国が決めることの是非を最高裁は判断しない」という判例を作ってしまった


実は最高裁への「跳躍上告」は米国のマッカーサー大使がアドバイスしたものだった


藤山外務大臣は、この大使の提案に「全面的に同意」した


更に、最高裁の田中長官は、裁判中なのに、裁判の当事者であるマッカーサー大使と「密談」していた

その時田中長官は「伊達判決をひっくり返すのに少なくとも数カ月かかる」という「見通し」まで大使に伝えていた



この時から日本の「司法の独立」はなくなり、政権が望む判決を出すようになった

ここまで証拠(アメリカの公文書)で「密談によって判決が決まった事実が明らかになったのに、安倍官房長官(当時)は「密約はなかった」と、なおも否定

なお、上の新聞記事の中に
砂川事件の最高裁判決は、政府が14年に集団的自衛権の行使を容認した際にも根拠に挙げられた。
と書かれていますが、これは、安保法制審議の時、政府が突然「砂川事件の最高裁判決は集団的自衛権を認めていた」などと言い出した「事件」のことを指しています。
「最高裁の論理踏まえて」 違憲の考えに谷垣氏反論

しかし、砂川事件最高裁判決の時の判事だった入江俊郎氏のメモには
「自衛のための措置をとりうる」とまでいうが、「自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい」とまでは云わない。
と、書かれており、そもそも砂川事件最高裁判決は「集団的自衛権」どころか、まだ「自衛隊」の存在すら認めていなかった、ということがわかっています。
政府の「虚言癖」、こまったもんですね。

「砂川」最高裁判事メモ 集団的自衛権「想定せず」 - 動画 Dailymotion

 



 

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