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純丘曜彰 Teruaki Georges SUMIOKA のメモ

昨今の動向、気になったニュースなど

ZEN大学のインパクト

2024-10-25 23:30:00 | 日記

 9月に保留とされた角川のZEN大学が追加認可される見込みだそうだ。日本財団やパソナがバックについて、モロに森安倍系。だが、とにかくいきなり規模がでかい。定員は減らされたが、いずれ予定の2万人大学、ひょっとするとそれ以上になるだろう。全日制のおまけの通信制ではなく、通信制のネイティヴで構想されているから、キャンパスなどの固定資産のムダが無い。すでにN高校で3万、いずれ6万の供給もあり、経営的には安定している。

 保留の理由は、わからないでもない。表向きは夏のサイバー攻撃だが、ネット配信については、高校ですでに7年の実績がある。むしろ文科省としては、これが大学勢力図のバランスを劇的に変えてしまうことを危惧しているのだろう。が、どこの大学も、あまり危機感が無いのが恐ろしい。

 一般の大学を経営から見た場合、あまりに資本回転率が悪すぎる。学期中の昼数時間しか経営しない学食と同じようなもの。街中でないと学生が集まらないが、街中に集めたところで、ランチ、ディナーで二回転させている飲食店ほどにも儲かりようがない。そもそも箱物に学生を年30回も集めてライブを打つなんて、時代錯誤だろう。東進なんかだと、自分のペースで好きな時間に好きに進める。

 昔、教授たちは、それぞれ個性的で、人間的な魅力があった。だから、学生が集まった。しかし、カリキュラム主導で、非常勤だらけになってくると、しょぼくれた、著書一つない無名の落ち武者のような人々。「実務家」なんて言ったって、米国の現役出向と違って、過去の錆びた賞の自慢以上のものが無ければ、そのころ生まれてもいなかった若者たちを惹きつけるわけがない。

 とはいえ、ZEN大学に問題がないわけではない。東浩紀氏がやっと「教授」になれそうなのは、喜ばしく思うが、茂木健一郎氏は漏れた。編集工学とか言っていた松岡正剛氏も、生きていれば、こんな大学で「教授」をやりたかっただろう。

 逆に言うと、彼らは、アンシャン・アカデミズムが排除してきた人材だ。角川が出版から映画、ネットまで、アウトプットを自前で持っているから、卒業生たちも活躍するだろうが、アンシャン・アカデミシャンは、自分たちの人生を賭けて、どこまでもその教授たちや卒業生たちを否定するだろう。文科省さえ味方につければ、潰されはしまいが、ことごとに当分、陰湿な嫌がらせが続くに違いない。コペルニクスやケプラー、ガリレオの時代と、人間はあまり進歩していない。


如来と菩薩の見分け方

2024-10-25 00:30:00 | 日記

 インドや中央アジアからの仏教伝来の話を確認していくと、とにかく仏教内部の伝承も、世界史の記述もガサツすぎる。

 そもそも仏教は、もともとは仏像なんか持っていなかった。しかし、紀元一世紀ころまでに中央アジア、パルティアで、弥勒菩薩信仰が出て来る。これが大月氏クシャナ朝が征服すると、阿弥陀如来信仰となり、脇侍に観音菩薩と勢至菩薩がくっつく。また、アーリア人グプタ朝がヒンドゥー教を回復すると、密教や華厳経で大日如来(盧舎那仏)が主神となり、普賢菩薩が脇侍になったりする。これらは、それぞれ、むしろシッダールタの仏教とはまったく別の大乗新仏教と言ってもいい。

 問題は、これが中国に伝わったとき。北魏の雲崗、龍門や、南梁の南京などの寺は、何宗だったのか。これを判断するのは、伝承より、仏像の図象学的アトリビュートを見た方が確実だ。

 基本的に裸で座っているのは、すでに悟った如来。やたら宝飾品をジャラジャラさせて立っているのが、修行中の菩薩。裸で座っていて、左手人差し指を握る智拳印を結んでいるなら、大日如来。ただし、東大寺大仏のように、右手で留め、左手を差し出す施無畏印と与願印の大日如来もある。右手を上げ、左手を差し出しているが、OKと指で輪を作っている来迎印が、阿弥陀如来。両手を正面で組んでいる定印は、大日如来にも阿弥陀如来(鎌倉大仏)にもあるので、厄介。

 半跏思惟、つまり片足組みなら、弥勒菩薩。だが、弥勒如来なんていうのもあり、これは座像で定印や施無畏与願印だったり。仏舎利(シッダールタの骨)宝塔を持っていれば、立っていても、座っていても、弥勒菩薩。水壷や花瓶を持っているのも、そう。本来は脇侍ながら、よく単独でも崇拝されるのが、観音菩薩。蓮のつぼみが特徴。勢至の兄で、阿弥陀如来の左側。普賢菩薩は象に乗っている。獅子に乗って剣を持つ文殊菩薩が主仏の右脇侍になることもある。

 だいたい、これでたいていの初期宗派は見分けられる。が、雲崗とか、ごちゃごちゃ、いろいろあって、いったい何を拝んでいたのやら。