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純丘曜彰 Teruaki Georges SUMIOKA のメモ

昨今の動向、気になったニュースなど

花が大好き、メジロさん

2024-03-28 06:00:00 | 日記
 
よほど空から目立つのか、次から次に、いろいろな野鳥がやってくる。
 
もちろんスズメも多いのだけど、あいつらのくちばしは、穀物をかみつぶす形。花の蜜を吸えるのは、メジロとか、ウグイスとか、シジュウカラとか。変わったところでは、ちょっと大きめのツグミも、花が大好き。重いから枝が大きく揺れて、羽先が下がっているので、来たらすぐわかる。
 
最近は、やはりちょっと大きなイソヒヨドリも、地面に降りて、虫かなにか探していたり。あいつら、花の蜜は吸わないけれど、ミカンだけは大好き。いたんだのを半切りにして、花の終わった椿に刺しておいてやると、この季節、カップルでデートにやってくる。それで、嬉しそうに、きれいな声で鳴いてくれる。
 
さほど遠く無いところに大きな河原があるからか、このあたり、道路はよく白黒のセキレイが歩いている。でっかくて白いダイサギが人の家の玄関先に佇んでいたことも。あんまり動かないんで、模型かと思ったよ。

『热爱105℃的你(スーパーアイドルも)』:日本語訳

2024-03-26 19:00:00 | 日記

Super Idol的笑容,都没你的甜。
 super idol de xiàoróng dōu méi nǐ de tián.
 スーパーアイドルも、かなわない。
八月正午的阳光,都没你耀眼。
 bāyuè zhèngwǔ de yángguāng dōu méi nǐ yàoyǎn.
 真夏の太陽も、かなわない。
热爱105度的你,滴滴清纯的蒸馏水。
 rè‘ài yī bǎi líng wǔ dù de nǐ, dīdī qīngchún de zhēngliúshuǐ.
 純愛100パーのきみは、透明蒸留水。

你不知道你有多可爱,
 nǐ bù zhīdào nǐ yǒu duō kě’ài
 転んでも、笑って、
跌倒后会傻笑着再站起来。
 diēdǎo hòu huì shǎxiàozhe zài zhànqǐlai
 てれながら立ちあがれる。
你从来都不轻言失败,
 nǐ cónglái dōu bù qīng yán shībài
 いつも負けず嫌いで、
对梦想的执着一直不曾更改。
 duì mèngxiǎng de zhízhuó yīzhí bùcéng gēnggǎi
 ずっと夢を追いかけてる。

很安心,当你对我说,
 hěn ānxīn, dāng nǐ duì wǒ shuō,
 だいじょうぶ、わたしがいるから、
不怕有我在,放着让我来,
 bú pà yǒu wǒ zài, fàngzhe ràng wǒ lái,
 なんでも任せて、って言う、
勇敢追自己的梦想,那坚定的模样。
 yǒnggǎn zhuī zìjǐ de mèngxiǎng, nà jiāndìng de múyàng.
 自分の夢に迷ったりしないって。

Super Idol的笑容,都没你的甜。
 super idol de xiàoróng dōu méi nǐ de tián.
 スーパーアイドルも、かなわない。
八月正午的阳光,都没你耀眼。
 bāyuè zhèngwǔ de yángguāng dōu méi nǐ yàoyǎn.
 真夏の太陽も、かなわない。
热爱105度的你,滴滴清纯的蒸馏水。
 rè‘ài yī bǎi líng wǔ dù de nǐ, dīdī qīngchún de zhēngliúshuǐ.
 純愛100パーのきみは、透明蒸留水。

在这独一无二,属于我的时代,
 zài zhè dúyīwú’ér shǔyú wǒ de shídài,
 人生で一度の若さだから、
不怕失败来一场,痛快的热爱。
 bú pà shībài lái yī chǎng, tòngkuài de rè‘ài.
 振られたって、なんでもない。
热爱105度的你,滴滴清纯的蒸馏水。
 rè‘ài yī bǎi líng wǔ dù de nǐ, dīdī qīngchún de zhēngliúshuǐ.
 純愛100パーのきみは、透明蒸留水。

在这独一无二,属于我的时代,
 zài zhè dúyīwú’ér shǔyú wǒ de shídài,
 人生で一度の若さだから、
莫忘了初心常在,痛快去热爱。
 mò wàng le chūxīn cháng zài tòngkuài qù rè‘ài.
 出会いのときめきを忘れずに。
热爱105度的你,滴滴清纯的蒸馏水。
 rè‘ài yī bǎi líng wǔ dù de nǐ, dīdī qīngchún de zhēngliúshuǐ.
 純愛100パーのきみは、透明蒸留水。

喝一口又,活力全开。
 hē yī jǒu yòu, huólì quánkāi.
 一口でも、元気全開。
再次回到,最佳状态。
 zàicì huídào, zuìjiā zhuàngtài,
 さあ気を取り直し、
喝一口哟。
 hē yī kǒu yo.
 もう一度。

 

※ この歌、日本でもはやったけれど、これまでの訳がちょっとひどかった。「105℃」って「ワトソンズ(屈臣氏)」という香港発でアジア中に広がっているドラッグストアチェーンのオリジナル純粋ウォーターの商品名だぜ。高圧蒸留の完全殺菌水で、コロナの流行でバカ売れしたんだ。

http://www.watsons-water.com.cn/


国際四ヶ国語

2024-03-24 07:00:00 | 日記
英語、中国語、アラビア語、スワヒリ語、だろう。
 
中学生のころ、父親の親友のドイツ語教授に騙されて、ドイツ語を学んだが、ドイツの大学に遊び半分で教えに行けたくらいしか役に立たなかった。だって、こっちがドイツ語で話しても、あいつら、外国人と見ればみんな英語で話したがるんですぜ。
 
フランス語やイタリア語もやったが、こんなのも、使うところが無い。むかし、おのるる、いるとん、おてる、なんて、Hを発音できないフランス人の英語をバカにしていたが、いまは連中もふつうに英語。イタリア人なんか、わけのわからない英語。まあ、母国語よりも英語の方が構造が単純な下位互換だから、入り込みやすいのだろう。
 
80年代から東大の駒場では中国語が第二外国語になっていたが、文系で高校の漢文をきっちりやっていれば、わざわざ習うほどでもあるまい。歌だの映画だのに接していれば、なんとなくできるようになる。一方、本郷でイスラム学を取ったが、これは苦労した。まず文字に慣れるのがたいへん。いまだに勉強途中だ。
 
テレビの仕事をしているときに、バイトの一人がスワヒリ語をやっていると言って、そんなの、どうする? と思ったが、自分が浅はかだった。アフリカは多民族多部族だが、スワヒリ語が広範な共通語だとか。ラテン文字なので、近づきやすい気がするが、はたしてどうだろう。Jumbo!
 
ようするに、独仏伊西露なんかは、みんな英語に吸収されてしまった。その一方、北京官話と簡体字による統一、華僑の広域存在もあって、東南アジアまで中国語が普及。また、ソ連や英国の衰退で、中央アジアからエジプトまで、アラビア語の復権も顕著だ。アフリカも、中国が大規模投資で手を出していることもあって、部族対立より広域貿易で、スワヒリ語が隆盛。
 
それにしても、英国を含め、ヨーロッパがこれほど急激に没落するとは思いもしなかった。ユーロが高いと言っても、もうロストランドというテーマパークの入場券のよう。近年、読んだり、聞いたりすべきものが、文化的に何も出てこない。80歳の大御所みたいなもので、そんなのにこびへつらっていると、自分までその介護に駆り出される。そんな年寄りのオムツ交換を喜々としてやっている日本の大学教員たちが、若い次世代の学生たちに未来を語れるわけがあるまい。

ホロスコープの偏り

2024-03-18 07:00:00 | 日記
この春、なんだか星が牡羊座の前後(魚~牡牛)にやたら集まってしまっている。東北大震災のときも、魚座に集中していたけれど、あのときよりひどい。魚=水、牡羊=火、牡牛=地、で、牡羊座は、とくに損得抜きの短期決戦型。こんなサインが力を持っているときというのは、やっかいそうだ。
 
ホロスコープは、2024年4月1日昼12時のもの。(赤線は凶角。)去年の夏から今年の年末まで、ドラゴンヘッド(太陽の白道昇交点)は牡羊座、テイル(降交点)は天秤座だが、これは過去の清算を意味する。問題の冥王星(破壊の星)が外れているように見えるが、水星(連携の星)とスクエアで、これまた衝突とその解消の機運。前後を当たれば、もっとまずいタイミングもありそう。

ペーネロペーの織物

2024-03-16 05:01:00 | 日記
オデッセイの美人妻。トロイア戦争の後、夫のオデッセイは帰国せずに行方不明。それで、彼はもう死んだ、諦めろ、と、多くの男たちが言い寄ってくる。これに対し、ペーネロペーは、それなら亡き夫の棺掛けを織らないと、再婚はその後に、と言って、毎日、機織りをしている。が、いつまでたっても、できあがらない。
 
それもそのはず。彼女は、昼間に織った布を、夜の間に解いていたから。はたして十年、オデッセイは地の果てまで彷徨した末に彼女の下に生きて戻り、たがいの無事と再会を心から喜んだ。
 
で、『古代ギリシア文明思想史』だ。ようやくアレクサンドロス王帝も死んで、後継者戦争とアリストテレスの形而上学で最後までたどりついた。のだが、また最初から見直している。余計な枝葉はもちろん、説明が回りくどいところや句読点の使い方が気になる。
 
院生時代からだから、十年どころか、もう三十年になる。正直なところ、いまの荒んだ日本で、こんなものを作り上げたところで、読む人、読める人が多くいるとはとうてい思えない。それでも、今晩もまた、ほつれた糸を解き、また編み込んで、錦の綾を描き出そうとしている。