


アフガニスタンだよ。アレキサンダー大王は、カブールにいる僭称皇帝を追ってカスピ門の東へ出たが、待ち伏せを避けるため、シルクロードの谷沿いを直行はせず、扇型のアフガン山麓を大きく南へ迂回する作戦を立てた。この道は、パキスタンを越えてインドに通じる道でもある。

そして、アルガンダーブ川を渡った南岸、カブールへ登る道とインドへ越えていく道の岐路に、大王は新たに補給拠点アラコシア州アレキサンドリアを作らせる。これが訛ってカンダハールになった。そして、その後、ここは交通と貿易でいよいよ栄えることになる。
で、アフガニスタンだが、山の民の国という意味。だが、もともと大きく山の民、タジク人と、山麓のイラン・パキスタン系のパシュトゥーン人に二分されている。タジク人の中心の首都カブールは、要害の大都市だが、文化経済的にはパシュトゥーン人の中心のカンダハールの方がにぎわっている。
しかし、そのせいでかえって、なんだかんだと英国やソ連、米国に難癖をつけられ、侵略されてきた。その長年の戦災孤児たちはカンダハール周辺の神学校が引き取って育て、それが反ソ反米のタリバーン(神学学生団)となった。もともとばらばらの農村連中で、ゲリラ的な戦闘力はあるものの、2021年に首都カブールからも米軍を追い出した後、頭でっかち口たっしゃな彼らに政治的な統率力なんかあるわけがない。
いちばんのまとめ役は、カンダハールのインテリ名門一家の生まれで、米国留学経験もあり、2001年から14年まで議長~大統領を務めてきたカルザイ。親米反タリバーンのようでもあり、タリバーンの理解者のようでもあり、中国やロシアとも経済協力を図っている凄腕の政治家。
彼の才覚は、カンダハールを見るとわかる。カンダハールは、さんざんに米国その他の侵略によって破壊されてきたが、いまやその東側に、旧市街の倍もの新市街の建設が進んでいる。しっかりした都市計画に基づき、幾何学的な道路区分がなされており、まるでシムシティのようだ。そして、戦乱から逃れた人々が、ここに戻りつつある。この壮大な事業は、政界の第一線から手を引いたカルザイの仕事。
米国は敗退したくせに、これに操られたマスコミがいまだにその後のカブールの「惨状」と「停滞」ばかり政治的プロパガンダで報じるが、カンダハールを見ると、劇的に変わっていっているのがわかる。カブールはともかく、カンダハールでは女子教育も再開。世界標準の大型スーパーがいくつもあって、国際的な食品や調味料はもちろん、高級ブランドの純正のバッグや化粧品さえ並んでおり、ヒジャブ無しでおしゃれした女性たちの写真も、けっこう出て来る。いまだに貧相なバザールしかないサマルカンドなどとは大違いだ。
店にしたって、ほんもののピザハットやバーガーキングもバカ高い値段で営業しているし、どこにでもペプシやファンタが溢れている。連中の大好きなアイスクリーム屋があちこちにあるだけでなく、酒厳禁のイスラム原理主義のタリバーン本拠地なのに、バーさえもある。印象としては、イスラム建前主義のイランに似た感じ。ただ、喫茶店は、いかにもアフガンだ。みんなで床にゴロゴロ寝転がりながら、コーヒータイムを楽しむらしい。畳好きコタツ好きの日本人としても、こういう安楽スタイルのカフェは、ちょっと魅力的。

一方、日本は、実定法主義であるために、著作権の保護対象は、表現として具体的な形態に固定されているものに限定されている。現在のベルヌ条約では、この点に関して、各国の判断に任せる、としているが、厳密な意味では、日本の著作権法は、形態を越えたアイディアの創造性を「著作物」とする原ベルヌ条約の精神に則っておらず、このために、形態を変える翻案の著作権が曖昧になってしまっている。
そのせいで、日本の映画やテレビの現場は、人の作品を無断で好き勝手にいじくりまわす、版権海賊の悪しき慣例がずっと続いてきた。とくにアニメや子供番組では、その創生期にマンガ家が直接に関与することも多く、キャラクターデザインのみで、あとは脚本も映像も現場に丸投げして、プロダクションとして、その財産権としての版権の利益を享受してきた。このため、「顔ナシ」とは逆に、他人の作品を貪り喰って、なんでも自分の顔にすげ替えるMHのような化け物も出てきて、国内の高い評価とは反対に、『ムーミン』の始めから国際的には何度も原著作者たちの激怒を買っている。そんな版権海賊連中を放置してきたツケが、いまだ。
状況が変わってきたのは、そんな第一世代の大御所マンガ家たちが現場を去って、出版社主導になってから。かつて数が限られていたマンガ家たちは、雑誌に玉稿を出してくださる「先生」だったが、やがて担当編集者が一身同体二人三脚の「伴走者」となり、それがさらに、マンガ家ワナビーが世に溢れかえる昨今、出版社側がその「生殺与奪権」を握って、作品の中にまで手を突っ込んで強制的な「アドバイス」をするようになる。それどころか、いまや、作品の著作権クレジットにまで出版社名を書き入れている。
このために、マンガ家がいちおうは著作権を保持しているにしても、事実上も、権利上も、出版社との「共作」となり、連載時に、自分のところの雑誌で売り出してやるのだから、著作財産権の独占出版権をよこせ、というような契約を結ばされることが多い。これによって、著作者であっても、外部との交渉能力を失う。一方、出版社は、テレビや映画とつるんで、その宣伝効果をテコに、雑誌や単行本のさらなる売上増を図る。
マンガ家とWin-Win、のように見えるかもしれないが、騙されてはいけない。作品の完結なんか待っていたら売り時を逃す。マンガ家本人がどう思おうと、売れるうちに売ったもん勝ち。代わりはいくらでもいる。文句を言うなら、使い捨てにして、次のやつに入れ換えればいい。そこにMHのできそこないのような素性出自も怪しい「顔ダシ」の自称「脚本家」たちがウジのように沸いて取り憑き、イッチョカミして作品をギタギタにする。本来ならマンガ家を守るべき団体も、丸投げの版権ビジネスで甘い汁を吸ってきた第一世代の残党に支配されており、むしろ出版社やテレビ、映画の側について、これを黙認。
もとよりマンガは、手塚治虫の当初から映画の手法を取り込んでおり、その制作も、ネームという脚本を立て、そこから絵コンテというコマを起こす手順で作られている。歌舞伎でも、洋芝居でも、決め台詞と見え切りの止め絵が、いちばん受ける。CMまたぎだの、毎回の山場とオチ、次回へのティザーだののフォーマットの問題も、ページめくりと各週完結、連載確保を数百回もやりとげてきたマンガ家の方が、はるかにうまく処理できるだろう。だから、時間さえあれば、十回分の脚本くらい、みな自分でかなりのものを作れるはず。
ただし、一人で調和した世界全体を創造するマンガ家は、個々のタレントたちの御機嫌取りの太鼓持ちとして、作品の質を犠牲にしてまで、台詞や出番をねじ曲げることだけはできない。そのせいで、マンガ家は、作品を略奪され、人権を蹂躙され、版権海賊たちの集団リンチで殺されたも同然。出版社はもちろん、テレビや映画、そしてマンガ家の団体も、版権海賊世代とその悪習を一掃し、アイディアの創造性を重んじる本来のベルヌ条約の精神を取り戻さないと、国際的な知的財産尊重の潮流から脱落し、いつまでも同じ悲劇が繰り返されてしまう。
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元テレビ朝日報道局ブレーン
前々世紀後半の1886年、スイス・ベルン市で「ベルヌ条約」ができた。1971年にパリ改正され、今日、著作権に関する国際的共通了解として、世界のほとんどのまっとうな国が加盟している。が、日本では、あいかわらず版権海賊たちが跋扈し、その精神が守られているとは言いがたい。

著作権は、フランス革命の結果、できた。それまで、世間への一般公開(パブリッシング、出版や上演)には、個別に国王の「特許」が必要だった。そして、この特許によって、独占性も保たれていた。ところが、1789年の革命はこの国王の「特許」も否定してしまい、複製、偽造、なんでもありの「自由」にしてしまった。このため、創作の現場は、むしろ大混乱。それゆえ、国王と王妃の首を落とした強権政治のロベスピエールが、その『1793年憲法』において、世界で初めて「著作者の著作物所有権」を制定した。
重要なのは、これが「著作者権 droit d’auteur」の人権であるということ。とはいえ、その後、皇帝ナポレオン、王政復古のルイ18世、株屋の王ルイフィリップ、そして、うさんくさいナポレオン三世、と実質的な独裁者が政権を担い、国王時代の「特許」と同様の独善的な検閲許認可でパブリッシングがコントロールしたので、この新たな著作者権が実効力を持たないままだった。
しかし、復古的な独仏ウィーン体制の中、英国に近いベルギーは、いち早く産業革命を成し遂げ、1830年にはオランダからも独立。フランス語圏でもあったので、フランスの著作者や許認可を無視した海賊版を大量作成し、フランスに安値で逆輸出。作家や画家、学者たちは自主的に検討会議を何度も開いたが、各国政府は傍観。それが1870年の普仏戦争に破れ、第三共和政となり、78年、パリ万博が開かれたの機に、ヴィクトル・ユーゴが中心となって「国際文芸協会」を創設し、各国政府に対して国際条約締結を要求。こうして、ようやく1886年の「ベルヌ条約」21ヶ条に漕ぎ付ける。
「原ベルヌ条約」(1886版)は、その第四条において保護対象となる「作品」を定義しており、「言葉の有無にかかわらず avec ou sans paroles」「印刷や複製のなんらかの方法で公表されうるもの qui pourrait être publiée par n'importe quel mode d'impression ou de reproduction.」とされている。これによって、たしかに同じフランス語圏のベルギーの版権海賊たちは抑え込める。ところが、昔からフランスとロシアは文化交流が盛んなのだが、フランス文学をロシア語に翻訳すると、見た目もまったく似ていないキリル文字の羅列となる。これは、たしかに原著作物の機械的な印刷複製ではない。同様に、同じフランス語でも、小説の舞台化なども、印刷複製ではない。
そこで、「原ベルヌ条約」は、第五条~十条で、翻訳上演翻案、現在で言う「二次著作物」を規制している。すなわち、第五条で翻訳を、第九条で上演を、わざわざ特記して保護対象とした。また、「翻案 adaptation」は、次のように定義した。「同じ形態または他の形態で、変更・追加・削除とともに原作品を再作した場合 lorsqu'elles ne sont que la reproduction d'un tel ouvrage, dans la même forme ou sous une autre forme, avec des changements, additions ou retranchements」、つまり、「非本質的、新しいオリジナル作品としての性格を他に提示することがない Non essentiels,sans présenter d'ailleurs le caractère d'une nouvelle oeuvre originale」。このように、「原ベルヌ条約」は、もとより形態を超越するアイディアの創造性こそを「著作物」と見なしていた。
ロシアと並ぶ原ベルヌ条約のもう一つの宿敵は、米国だった。ヨーロッパの著作物を勝手に大量に複製してきた版権海賊国家の米国に、「著作者権」は論外。せいぜい国内的な財産権としての「複製権 copyright」にすぎない。だから、1988年になってようやくベルヌ体制に与したが、いまだに「著作者人格権(公表権・氏名表示権・同一性保持権)」をかってに外している。そのせいで、日本でも「ハリウッドでは」などというバカがすぐ出てくるが、それはむしろいまの国際世界では通用しない。