

とりあえず間取り図を起こしてみた。とにかく元の図面通りでは建たないし、セットもかなりいいかげん。鍵になるのは、二人の布団部屋の押し入れ。あれが1800ではなく、1350なので、ブリッジ幅が1350だとわかる。(ほんとうは、セットだと畳の部分も同じ1350で、押し入れ前の板敷は畳が450かぶって逆に900。)また、ベッドは世界共通で1000x1950なので、それで部屋の広さがおおよそ推測できる。
とはいえ、洗面所の大窓は無視した。いろいろやってみたが、どうやってもあの窓のある位置が無い。しかし、これなら、サーフボードを見つけた物置の高窓と合わせられる。黄色はガラス戸とカーテンで区切られた風呂場前のリネンスペースで、裏の物置とつながっていただろう。また、先述のように、窓だらけなので、しかるべく筋交入り耐力壁を配置。これに梁が入れば、どうにか実際に建つだろう。
まだやっていないのは、細々したものの配置。しかし、部屋の大きさを割り出すのにはあまり意味が無い。また、民宿として営業する以上、増築部に避難口として鉄製の外階段もあったはず。そうでないと、この建物の増築部二階は袋小路で危険だ。
不謹慎と言われるかもしれないが、災害とか火事とかがあると、被災建物の構造がよく見えてしまう。外面は御立派なのに、ああ下や中はこんなか、これじゃあな、と思ってしまう。
もちろん、建築は、建築家の責任だろう。だが、自分で土地を決め、そんな建築家を好んで選んだ、そんな場所のそんな建物でOKしたところに施主の心持ちが出る。武道でも、書道や茶道でも、道と言われる所以だろう。
そして、残念ながら、被災する建物は、やはりおうおうに人の住む道を外れている。住んではいけない場所、建ててはいけない土地。そこに基礎を越える乗せモノ。座屈するような「開放感」のある一階や吹き抜け。身の程知らずの巨大で重厚な屋根。強引な建て増しや屋上屋のペントハウス。
時代が変わる、ということもある。古くからの木造密集住宅地は、当然ながら火事に弱い。が、昔は、それぞれの家に防火用水を置き、若い衆が自主的な消防団を組み、子どもや高齢者への御近所の助け合いがあった。これらの生きた生活が抜け落ちた歴史的なだけの地区は、いまの時代、あまりに脆い。
また、日本は戦中に巨大地震が頻発したものの、戦後は48年の震度6の福井地震以降、落ち着いていた。戦後復興と団塊世代の住宅供給のため、画一的な団地とともに、尖った建築家たちが、さまざまな工法を駆使して、奇をてらった建物を競い合った。そこでの耐震基準は、建物自重の20%の地震力に耐えられればいい、というもので、実際のところ、震度5ほどの耐震性しかなかった。
しかし、1968年に十勝沖地震、78年に宮城県沖地震があり、どちらも震度5とされたものの、旧基準では危うい、ということで、1981年に「新耐震基準」が儲けられ、これで震度7(1024倍の強さ)でもなんとか耐えられるように改められた。しかし、95年の阪神淡路大震災は震度7で、これでも十分ではないことを露呈した。
そもそも震度基準も、観測員の被害観測に基づくものから、機械計測となり、三方向の合成加速度から割り出すもので、おおよそ、わずかに揺れを感じる人がいる、というところを震度1にしている。そこから、1つ上がるごとに32倍、2つ、つまり32の二乗で1024倍、というふうに設定され、震度7は、震度1の1000,000,000倍。震度8が無いというより、その32倍はもはや計測不能。
逆に、震度0は、揺れていないのではなく、指数関数だから基準値そのもの、震度-1はその32分の1、震度-2は、1024分の1となる。実際のところ、東京の街中などでは24時間、交通その他でなにかしらの振動があり、体感しないが、微細な揺れのストレスが、人間はもちろん、建物や橋などの大構造物にもつねに加わっており、これも長期になると、どんな影響が出るのか、わからないところがある。
そのせいなのか、ひとは、体感未満の微細振動のストレスを避けようと、かえって好んで砂地や埋地、盛地を選び、その上にやたら剛性の高い巨大な建物を作りたがるようだ。だが、そんなものは、ほんとうの地震には耐えられない。しっかりした土地に、微細振動を受け止めるきちんとした木軸の家。なにも建物の話をしているのではない。これは人の生き方の問題だ。
が、実際のドラマを見る限り、ダイニング以外はスタジオセットで、図面と違って単純な900mmモジュールだ。つまり、混乱の元は、現地のロケ建物の図面が半端に公開されていること。前にも書いたように、あれは、まったくのドシロウト建築の図面で、あんな開口部だらけでは、二階は乗らない。実際、復元と称する喫茶ダイヤモンドヘッドは、床を揃いの平面にして、きちんと基礎と大引で突っ張り、壁面も、窓を潰して、角ごとに三尺幅筋交入りの耐力壁にしている。
ドラマのセットでさえ、まともにあの図面には従わなかった。たとえば、社長の部屋は、図面上はレベル四尺畳敷きに設定されているが、実際のドラマではレベル三尺の板の間でベッドを使っている。おまけに南側のドアの横には棚があって、そのまま窓になっている。一方、作業部屋のセットでは、図面通り、北面に2つドアが並んでいて、東側のものは裏口で土間の二尺に下がっている。つまり、社長の部屋と作業部屋と、同じ壁で表裏が合わない。
ロケ建物も、図面を守っておらず、やはり廊下などが900モジュールだっただろう。そうでないと、やたら梁が半尺ずれて、折れる元凶。裏もヅラが揃っているように、ファザード(表側)以外は、大工がよしなにやったのだろう。しかし、その大工というのも、かなり怪しい。二階の屋根に、通し柱に乗っているまともな軒桁が無くて、壁面の450ピッチのほっそい間柱(1寸三倍角)にほっそい母屋(1寸倍角)を直打ちして、そこからなっがい垂木(1寸角?)を一階壁面まで一気に下げている。こんなヘロヘロな作り、まともな大工のやる仕事じゃない。2x4まがいのセットのパネルに突っかけ馬みたいな構造だ。これでよくたっていたなと感心する。むしろ、こんな作りで、当時、なんで3500万もかかったのか、不思議だ。
というようなわけで、ダイヤモンドヘッドが実在したとすれば、どんなだったのか、というのは、間取りがどうこう以前に、図面とも、ロケ建物とも、ドラマのセットとも、ズレて行かざるをえない。ただ、それでもどうにか辻褄を合わせて、あとは撮影時のスクリプター(コンティニュイティ係)の凡ミスということで、どうにかできないか、思案中。なんにしても、図面を一般的な900モジュールで起し直すところからはじめないといけない。

