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純丘曜彰 Teruaki Georges SUMIOKA のメモ

昨今の動向、気になったニュースなど

ベートーヴェンの大フーガ問題

2023-09-28 03:56:06 | 日記
今日の講義は、これだった。映画の『COPYING BEETHOVEN(敬愛なるベートーヴェン)』(2006)を素材に議論。しかし、背景を知らないと、なにが問題かもわかるまい。1770年生まれで、革命の時代を生き、1824年5月、第九で大成功。そして、27年3月、「諸君、喜劇は終わりだ」と言って死んだ。問題は、この最後の三年間。
 
 
合唱まで拡大したシンフォニーを大成した彼(53歳)は、最晩年、一転して14年ぶりに集約的な弦楽カルテットに集中。ナンバリングがおかしいのでややこしいが、12番、15番、13番の三作は、以前からのロシア貴族ガリツィンの依頼で、ミサソレムニスや第九と平行して作曲が進められており、完成初演が25年。14番が26年。最後が16番で、穏当な四楽章のもの。どちらも生前に演奏されなかった。そして、この後、26年11月、13番の最後の第六楽章を書き直している。しかし、12月から肺炎が悪化し、翌27年、死の一週間前、ロンドンフィルの見舞いに対し、交響曲を提供する、と言ったのが創作の最後になった。
 
で、問題というのは、13番と14番。14番も、そうとうに変わっているが、それが徹底していたのが、書き直しした13番の第六楽章。とにかく初演で悪評紛々。これじゃ売れない、という出版社に対し、あの頑迷で知られる彼が、あっさり書き直してしまった。この結果、捨てられた本来の第六楽章が、今日、『大フーガ』と呼ばれている。しかし、ベートーヴェン本人は、この部分をわざわざ26年、さらに独立のピアノ連弾版にもしていたとされ、その自筆譜面が実際に2005年に発見されたのだ。
 
つまり、大フーガ問題とは、これを彼が捨てたのか、ということ。もちろん、答えは、否だ。ならば、なぜ書き直しに応じたのか。たんにカネのため、という答えがないではない。しかし、ピアノ連弾に直してでも残そうとしたように、悪評だろうとなんだろうと、とにかく彼は、この作品に意義を感じていた。
 
むしろ悪評だった理由は、あまりにわかりやすい。第九が合唱とはいえ実質的にはユニゾンの単旋律のメロディーラインが明確であるのに対して、大フーガは、もとよりポリフォニーで、それも実態としては拍子も調性も無い。つまり、ベートーヴェンは、ここにおいて、ポリリズムやアトナリティをやっている。なのに、現代でも、いまだにこれをごちゃごちゃ拍子や調性を変拍子だ移調だなどとこと細かに分析したがる解説が多いように、まして当時の人々には拍子や調性が無い曲を聴く耳が無かったのだろう。
 
くわえて、フーガは、対位法を使うために、それがきちんと和声をなすように、マニエリスム的な解法がすでに確立していた。しかし、大フーガは、フーガとは名ばかり、いや、まさに文字どおりのフーガ(逃走)で、さまざまなモティーフが乱立し、絡み合い、始めも終わりもなく、葛藤し続ける。つまり、今日のビーチボーイズの「グッドヴァイブレーション」や、クィーンの「ボヘミアンラプソディ」の先駆というわけだ。しかし、これもまた、当時の人々には、モティーフがよく聞き分けられない、統合失調的なものとしか受け取れなかっただろう。
 
長年、人は音楽=歌だと思ってきた。しかし、音の体験そのものは、もっと立体的で空間的だ。世界を音楽としてじかに感じること。問題提起として見せた映画『COPYING BEETHOVEN』では、その冒頭で、大フーガに合わせて、ビデオクリップのコラージュを見せている。

アルゼンチン:明日を映す地球の裏側

2023-09-20 08:00:00 | 日記

/どこかで戦争が起これば、関わらなかった国は、思わぬ好景気の恩恵を受ける。しかし、この好景気は自力で掴んだものではなく、それでいったんバラマキ政策が膨れ上がってしまうと、国民の自主性無き依存体質を生み、その後、国債増大と通貨下落に物価上昇、その破綻、緊縮管理経済と反政府暴動を引き起こす。/

アルゼンチン、なんて言ったって、タンゴしか知らないという人も多いだろう。しかし、それは世界の国々の未来の姿かもしれない。

むしろ豊かな国だ。しかし、それが災いした。大航海時代にスペインが征服して以来、大草原地帯「パンパ」での農牧業モノカルチャーで、西欧の出張所、首都ブエノスアイレスと共依存関係にある。ナポレオンによってスペイン王が引きずり下ろされたのをきっかけに、1816年に独立。しかし、代わって英国が進出して、西欧から移民が大量に流入し、事実上の植民地として繁栄したものの、なまじ農牧業輸出が好調であるために、工業への産業革命は起きなかった。くわえて、第一次世界大戦でも中立を貫き、戦火焦土を逃れて来た、余裕と教養のある中産階級以上の移民を多く受け入れ、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれるほどの洗練された発展を遂げる。しかし、それは同時に、地方の独立農牧民の没落、都市労働者化を意味した。

1929年の世界恐慌で都市中産階級が勢力を失うと、農牧業輸出で回復を図ろうと、対英追従策に傾倒。第二次世界大戦では、親英派と親独派で国内分裂。43年、親英派将校団による軍事クーデタで、工業化を訴えて都市労働者の支持を得たペロン派が台頭。戦後、こんどは米国が介入するも、46年、ペロンは大統領に。おりしも、焦土となった西欧への農牧業輸出によって資金は潤沢にあり、ナショナリズムと急激な工業振興策、福祉拡大策を採って、その妻エビータとともに絶大な人気を誇ったものの、成果は出なかった。それどころか、1950年は資金も尽き、農牧業軽視で地方も疲弊。このため、52年の再選時には農牧業改革、対米追従に方針転換。教会とも対立して、55年の軍事クーデタで追放されてしまう。

軍事政権は、富裕層や地主層を基盤に、経済再建のため、賃金抑制と外資導入を図り、これに抵抗するペロン派残党を弾圧するも、ペロン派は都市労働者だけでなく地方農牧民も取り込んで、階級闘争の色合いを強める。とくに、66年のクーデタで政権を取ったオンガニーア将軍は「アルゼンチン革命」と称して、テクノクラート主導で外資工業を呼び込み、3%前後の安定成長路線に乗せる。しかし、世界的な学生運動や極左集団の波がペロン党を過激化させ、その暴動の鎮圧に苦慮。73年には、ペロン党を政権に取り込む「国民大合意」で収拾を試みた。

こうして、ペロンが政権に返り咲くが、翌74年には心臓病で死去。妻イザベルが初の女性大統領となるも、極左化したペロン党を抑えられず、76年、弱腰の彼女に代わって、軍事クーデタでビデラ将軍の独裁制が実現し、「汚い戦争」で反体制派数万人を徹底的に処分殺害する一方、アルゼンチン革命路線を踏襲して、テクノクラート主導、外資工業誘致、自由主義市場経済での「国家再編成」を図る。この結果、インフレ・物価高騰は止まらず、貧富格差も拡大、対外債務も増大。経済成長もマイナスに陥る。81年、後を継いだガルティエリ将軍は、国内不満を外にそらすべく、英国が実効支配していた沿岸のフォークランド島へ侵攻。

しかし、これが大敗戦で、1000%ものハイパーインフレ(通貨暴落)に陥る。83年、中道左派のアルフォンシンが大統領となって、軍政時代の「汚い戦争」の罪でビデラ将軍らを裁判に掛けたが、このことで軍部の反発を呼び、また、新通貨アウストラルと物価凍結や食料配給で一時的にインフレを抑え込んだものの、経済は停滞、物資は不足。賃上げを要求する労働組合とも対立することになり、ゼネストが頻発。おまけに新通貨の信用も急落し、ハイパーインフレが再燃。暴徒の略奪に対して、戒厳令で対応するも収拾できず、89年の選挙、ペロン党メネムに政権を譲る。

メネムは、社会主義(上からの経済振興・福祉拡大)的なペロン党に属しながら、前政権の統制経済を排し、米国レーガノミクス(81~89)に倣って、むしろ金融政策重視の新自由主義を導入。91年兌換法で1ペソ=1ドルとすることで強引に通貨と物価を安定させたうえで、民間の自由競争を促し、民間経済の再建を実現する。しかし、もとよりペソにドルほどの価値があるわけもなく、その実態はいかにもペロン党らしいバラマキ財政出動であり、それも、外貨が潤っていたペロン時代と違って、実際はIMF(国際通貨基金)とつるんだ莫大な対外国債に頼ったもので、いずれ破裂する時限爆弾だった。

とりあえずメネムは任期満了までたどりついたものの、その汚職体質や財政危機に、1999年の選挙では急進党(中道左派)ルア大統領が勝ち、緊縮財政で公共事業や公務員給与を削減したために、中産階級が没落し、ふたたびストや略奪が横行。国債も暴落し、資本も逃避。2001年末、ついに金融危機が表面化し、預金封鎖や融資凍結、デフォルト(債務不履行)を強行。各地で暴動が起きて急進党は退陣。

2003年、ペロン党キルヒナー(キルチネル)大統領は、まずデフォルトに陥っていた国債の評価額を三分の一に縮減する交渉をまとめ、中央銀行準備金で、いったんはIMFに一括返済。おりしもイラク戦争(2003~11)で国際食品価格が高騰して輸出が好調となり、これを背景に、安価な公共サービス、食品産業その他の補助金など、ペロン党らしいバラマキ財政が可能になり、経済は復興。しかし、これらは当然またインフレ(通貨下落)と経済格差を招き、ストが頻発。優秀な人材も多くが海外に流出した。政府は為替を操作することでインフレを抑えようとしたが、そのための外貨借入が増大し、14年に、ふたたびデフォルト(債務不履行)に陥る。

2015年、ペロン党でも急進党(中道左派)でもなく、サッカーチーム会長で市民連合(中道右派)のマクリが大統領に。まず債権売却で資金調達して、どうにかデフォルトを解消し、国際資本市場に復帰。しかし、彼は古い自由主義者で、変動相場に戻したため、ペソは30%も下落し、インフレは30%を越えて高止まり。また、輸出入関税を引き下げるも、国際食品価格の低迷に加え、干魃による不作で、貿易収支も悪化。おまけに、18年に米国が国内金利を2%に引き上げたうえに、トルコで実際に通貨危機が生じ、アルゼンチンの再三のデフォルトが懸念されたために、中央銀行が金利を60%まで上げても、外資は米国へ引揚げてしまう。

このため、IMFから追加融資でなんとかしのごうとするが、2020年に大統領になったペロン党フェルナンデスは、これを停止し、徹底的な為替と貿易の管理で資金流出を留めようとする。また、ペロン党らしい公共料金の凍結、老人や子供への支援金、貧困家庭への食料券などの不況対策を行った。しかし、おり悪く、世界的なコロナパンデミックで、国際経済は低迷し、就任早々、デフォルトに。ロックダウン下で、もはや貧困層は国民の40%を越え、1ドル700ペソまで急落し、もはや略奪が日常化。ウクライナ戦争の裏側で、今年8月、来年からエジプト・エチオピア・イラン・サウジ・首長国連邦とともに欧米の対抗軸となるBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)へ加盟することが決まったが、内情はおよそ楽観できるものではない。

正義論だの、地政学だのもけっこうだが、世界にはもっと大きな歴史文明的な法則がある。すなわち、どこかで戦争が起これば、勝った側であろうと、負けた側であろうと、当事者たちはもちろん、それを支援した国々まで、救いがたく疲弊する。その一方、関わらなかった国は、思わぬ好景気の恩恵を受ける。しかし、この好景気は自力で掴んだものではなく、それでいったんバラマキ政策が膨れ上がってしまうと、国民の自主性無き依存体質を生み、その後、国債増大と通貨下落に物価上昇、その破綻、緊縮管理経済と反政府暴動を引き起こす。そして、次にまた世界のどこかで戦争が起きるまで、どうにもならない。

やたらカネを途上国にばらまきたがる政治家がいるが、それがほんとうに相手国のためになるのか、よく考えた方がいい。それはただ親族汚職と闇市場を横行させるだけで、それで結局、デフォルトや政府転覆暴動となれば、そのツケは、むしろ支援した国の方に帰ってくる。来年の拡大BRICSに関しても、とりあえずウクライナで戦争をやっている間は安泰だが、さて、その後、どうなることやら。いや、それ以前にそもそも、戦後、世界のどこかしらの戦争の恩恵で、いつもずっとうまくぬくぬくとやってきて、自分たちでなんとかする気力も機会も失ったこの国がどうなるのか、もっと心配した方がいいかもしれない。


世の中は若い連中が回していく

2023-09-14 08:00:00 | 日記
人に運転してもらっていながら、助手席で運転の仕方をギャーギャー言うやつは嫌いだ。だから、運転を任せた以上は、任せて、黙って乗っていればよかろう。とはいえ、それで、人に運転させておきながら、自分はただ寝てた、などと、そしられるのは、ふがいない。道でも聞かれれば、いつでもすぐに答えられるようにはしていたいものだが、多少、ドライバーが道をまちがえていても、それでもどうにかつけそうなら、乗せてもらっている側が、聞かれもしないうちから、あっち行け、こっち行け、などと指図する立場でもあるまい。
 
同様に、世の中にいろいろ思うところがあるにせよ、50歳も過ぎれば、もうなんであれ、若い連中に任せたらいいのに、と思う。10年後、20年後、自分が生きているかどうかもわからないのだから、世の中に、あれはおかしい、これは変だ、それはどうすべきだ、などと言ったところで、もとよりそんな偉そうな権限があるわけでなし、ほっときゃいいのに。
 
そもそも、自分たちだって、そんなにうまくやってきたわけでなかろう。いや、その経験があるからこそ、とか言ってみたところで、世の中、いちどは失敗してみなければ、わからないこともある。それどころか、世の中そのものがどんどん変わっていっているから、前はともかく、今は、同じやり方でも、うまくいくかもしれない。
 
まあ、ようするに、もう用済みの側だ。上の世代が、じじばばになるまで現役でがんばってくれて(現世に執着して?)いたから、そうそう表舞台に出る機会もなかったが、その分、よけいな面倒を負わされることもなく、自分たちで好き勝手にやってこれた。それが良かったか、悪かったかは、わからないが、とにかくそういうこと。この先、若い連中が運転するバスに乗り合わせて、それが海に落ちても、ああ、運が悪かった、というだけのこと。

いまどきのメフィスト:悪魔に魂を売るということ

2023-09-10 08:00:00 | 日記

/そもそも、成功したのは、誰なのか。メフィストに言われるままに演じている役が当たっただけ、周囲の人々もただ狂ったサルたちが恐いだけで、本人のことなど、ほんとうはだれも本気では評価していない。それが魂を売って、悪魔の操り人形になるということ。/

一発当てて、人生を逆転したい。そんな青臭いやつが、いいカモだ。ある晩、やつがやってきて、耳元でささやく、金持ちに、スターに、政治家になってみたくはないか、と。その悪名を知らないではない。だが、心が揺れて、言われるがままに、契約のしるしとして、やつの尻を舐める。すると、やつは、親切に振り付けを教え、そのとおりに手を上げ、足を上げ、セリフを決めていると、やつの子飼いの、頭のいかれたサル、マイナスたちが大喜び。その凶暴なサルたちを恐れて、その他の人々も、みな言いなりだ。こうして、またたく間に、約束の成功が手に入る。

『メフィスト』(1936)は、ナチス台頭期ドイツのクラウス=マンの小説。主人公ヘンドリックはコミュニストだった過去を隠し、ゲーリンクに近づき、親友だった同士オットーを見殺しすることで、ナチス俳優として政治的に大成功。しかし、自分の実力が賞賛に値しないことを自覚しており、また、死んだオットーの仲間が、過去を暴いてやる、と脅しにやってくる。まあ、コミュニストも、ナチストも、結局は似たようなもの。いったん契りを交わした者が足抜けすることをけして許さず、地獄の底まで追いかけてくる。

そもそも、成功したのは、誰なのか。メフィストに言われるままに演じている役が当たっただけ、周囲の人々もただ狂ったサルたちが恐いだけで、本人のことなど、ほんとうはだれも本気では評価していない。それが魂を売って、悪魔の操り人形になるということ。その糸を自分で切ったりしたら、凶暴なサルたちがその裏切り者に襲いかかり、人々も手のひら返しで、見捨てて踏みつける。

いまの時代、メフィストにでも頼らなければ成功できない、と言うかもしれない。しかし、それはほんとうか。たしかに、メフィストは成功を約束し、その約束を妙に忠実に実行してくれる。だが、一度でもやつの力を借りたら、手足全身の隅々にまでその獣の名を書き込まれ、もう永遠にやつの尻を舐め続けるしかない。それを止めれば、その瞬間から、地の底に叩き落とされるだろう。だから、やつに魂を売った者は、もはや自分でその名を消すことなどできない。

しかし、いかれたサルたちの熱狂は、やつが見せる幻影だ。そいつらは、自分の心を失った亡霊たちの変わり果てた姿。そんな亡霊連中に囲まれて喜んでいると、いよいよ自分の魂も空虚に成り果て、そこに代わってどす黒い怨霊が巣くって、全身を蝕まれ、人生を腐らせていく。そうなってからでは、もう引き返せない。

だが、メフィストも万能では無い。自分のサルたちを使っていろいろ邪魔はできても、もとより関わりの無い者まで引きずり落とすほどの太い糸を、やつが最初から握っているわけではない。だから、自分の人生の糸の端を、けしてやつに手渡すな。その甘い言葉のささやきに耳を傾けるな。魂を売った成功は、きみを幸福にはしない。きみはやつに殺され、もうそこにはいないのだから。


電波系の人々

2023-09-06 08:00:00 | 日記
以前、テレビ局の中で働かせていただいていて、驚いたのが、世の中には「電波系」と呼ばれる人々が実際にかなりの数でいる、という事実。専門的な診断はいろいろややこしいのだが、ようするに、それは統合失調の典型的な症状で、自分のやっていることが、インプットも、アウトプットも、どこかに筒抜けになっている、という自己完結性の崩壊。
 
たしかにテレビ局は、電波を送っているのだが、言うまでもなく、いちいちどうでもいい人のことを覗き見たり、どうでもいい人のことを操作したりしない。ところが、彼らからすると、そうではないらしい。それどころか、彼らは、なんと電波を自分で感じられて、きちんと頭がしびれるのだとか。
 
聞いてみると、出版業界の連中も同じ問題を抱えていて、昔からけっこうな数だそうだ。自分のネタを取られた、なんていうものではなく、自分がネタにされた、と訴えてくる。ただ問題は、編集者は作家やマンガ家に打ち合わせで助言するが、もとより彼らにプロ以上の発想力があるわけでなく、持ち込まれた作品のボツネタから部分的に切り取り、継ぎ接ぎ、ばれないようにパクっている、と、うちうちでは日常的に自嘲しているところ。おまけに、半端に頭の良い連中だから、アイディアに著作権は無い、著作権法にさえ引っかからなければ、合法なんだから、やってなにが悪い、それがオレたちの仕事なんだ、などと、妙にポジティブに考えている。これでは、パクられたという恨むやつが出て来るのも、冗談で済まない。
 
電波さんは、頭の中まで筒抜けなのだから、距離感が無い。彼らの方ではかってに出演者や作家、制作スタッフや編集者とは長年の懇意の知り合いだと思っている。だから、テレビや雑誌を見ていて、なにかひらめくところがあると、ああ、あれはオレが教えてやったんだ、などと自己満足に浸り、人にも言いふらす。周囲にそれを真に受けるバカがいたりするから、よけい本人の妄想が拡がって、いよいよおかしくなる。
 
また、テレビや雑誌でなにかひっかかるところがあると、あれは自分に対する当てつけだ、と激昂する。彼らは、どんな片言隻句からでも、自分に向けられた隠された悪意ある意味を引き出すことができる。それで、手紙で脅迫してくるくらいならまだまし。距離感が無く、彼らからすれば出演者もスタッフも懇意の知り合いだから、予告も無しにいきなり直接に押しかけてくる。
 
そうすると、受付から電話。○○さんのお知り合いとおっしゃる方がいらっしゃってますが、と。名前を聞くと、その手の「常連」さんだったり。で、こんどは警備に電話。ちょっと電波系の人なので、よろしく、と。まあ、怒っていても、そういう意味ではそれほどふつうの人と変わらず、そうそう暴れるわけではないが、むしろやたら親しげに他の出入りする人たちにグチりながら紛れ込んで、中の奥までかってに入ってきてしまったりするし、なにを持ってきているかわからないので、警備を含め、けっこうみんな緊張する。
 
近年はネットで、いよいよ電波さんたちが増大。なにかあると、すべてが自分の直接の問題で、自分への当てつけだ、と激昂。逆に言うと、忙しく働いている人と違って、彼らに関わっているものはなにも無く、当てつけもなにも、彼らに対して関心を払っている人もいない。そのあまりに空虚さのせいで、遠い世界と自分が直結してしまう。おまけに、連中はヒマだから、やたら行動力はある。テレビ局や出版社、タレント事務所などがいっちょかみしていれば、毎度のことなので、ガードも堅く、ことを荒立てずにお帰りいただくノウハウもあるが、そうでないと、宮台先生みたいに、いきなりやられかねない。恐い世の中になったもんだ。