酒酒楽楽

酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

智恵子のほんとの空

2008-05-22 22:39:35 | Weblog


『あどけない話』
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
                (昭和3.5)


智恵子の生家へは何度か行ったことがあるが、
ブログを始める前だったので、ブログ上では初めてのこととなる。



智恵子は、明治19年5月20日、安達町の「花霞」という造り酒屋の長女として誕生。
18歳 福島高女を卒業し、日本女子大に入学。
22歳 卒業後も東京に残って絵画の勉強を続けた。
25歳 この前後にセザンヌに傾倒。
26歳 平塚らいちょう等が雑誌「青鞜」を創刊。その表紙絵を智恵子が描いた。
29歳 光太郎と結婚する



智恵子の部屋は、二階東側の日当たりの良い二部屋



智恵子も使ったと思われる機織り機



『同棲同類』
ー私は口をむすんで粘土をいぢる。
ー智恵子はトンカラ機(はた)を織る。
ー鼠は床にこぼれた南京豆を取りに来る。
ーそれを雀が横取りする。
ーカマキリは物干し綱に鎌を研ぐ。
ー蝿とり蜘蛛は三段飛。
ーかけた手拭はひとりでじゃれる。
ー郵便物ががちゃりと落ちる。
ー時計はひるね。
ー鉄瓶もひるね。
ー芙蓉の葉は舌を垂らす。
ーづしんと小さな地震。
油蝉を伴奏にして
この一群の同棲同類の頭の上から
子午線上の大火団がまつさかさまにがつと照らす。(昭和3.8)




ベートーベンが好きで良く聴いていたとか・・・。



『樹下の二人』
 ーみちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆー

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

こうやって言葉すくなに座っていると、
うっとりねむるような頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを、
下を見ているあの白い雲にかくすのは止しましょう。
  
                   (大正12.3)





生家の裏には智恵子記念館があり、切絵等が展示されている。


昭和13年10月5日 智恵子ゼームス坂病院にて死去(53歳)

『レモン哀歌』
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしくも白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
           以下略   (昭和14.2.23)



初めて「千恵子抄」を読んだのは学生時代だった。
それから、30代、40代と光太郎と智恵子に接してきて、
もう直ぐ60歳になる今思ったことは、
年代によって受け止め方、感動が違うということ。
20代の時には20代なりの感動、40代は40代なりの感動があり、
今回もまた、二人の愛の深さにじ~んときて涙が滲んだ。



                   

先日、智恵子の生家と記念館を見学したあと、

「紙絵と詩 智恵子抄」 社会思想社
「高村智恵子ーその愛と美の奇跡ー」 二本松市教育委員会
「命と愛のメッセージ」 安達町智恵子記念館

の三冊をほぼ読み返しました。

撮ってきた写真と併せて記録に残したいと思った矢先、
体調がおかしくなり、かかりつけの医院で処方された薬をのみ、
この薬を飲むと睡魔に襲われ、
ねむり姫のように眠っているしかないのですが、
ようやく昨日より回復の兆しが見えてきました。

そんなわけで、いつもの事ながら中途半端な記録です。


旧「酒酒楽楽」も覗いてね。


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