スミサキ日記

子供の頃は口から生まれたのかというくらいおしゃべりさんだった

中学生くらいで心折られてからは、気を許した相手にしかやらないようにしているが。

9~11月にかけて異動してきた人がいるので、歓迎会の予定。……飲み会苦手なんだよな……酒は嫌いというほどでもないが、そして食事はそこそこ好きだが、そもそも人間が苦手というか……。
素面でも会話に困るのに、酒が入るとその場は乗り切れても、帰り道で自己嫌悪がすごい。言うべきでないことをたくさん話してしまった気がして。(舌禍のおしゃべりさんが復活してしまう。でも言ってしまったということは、どこかには多少言いたい気持ちがあったんだと思う。そういうことを思っていた自分が嫌だしそういうことをやってしまった自分が嫌というか。)

人生は我慢の連続というか、好きなことだけしたり、敵ばっかり作っては生きていけないので、内心「マジふざけんな」と思っても「そうなんですねー」と流したり、「そういうのはやめておいた方が…」とやんわりたしなめたり、の連続。さすがに40年も生きていると、嫌なこと言われても(あなたはそう思うのね)と思えるし、自分から相手を正そうと思うこともほとんどなくなったけど。(昔は自分勝手な正義感の塊だったので、べき論を振りかざす、口うるさい嫌な奴だったと思う。)(自分自身が、自分の信じる「正しさ」を保持できない場面に何度も遭って、やがて何も言えなくなった。正しい世界、美しい世界、優しい世界であるべきとは今でも思うし、できるだけそうしたいと思って行動しているけれど、他人には求めない。人には人の事情がある。自分とは理想が異なっているかもしれないし、そう思っていてもそうはできないのが人間だとようやく学んだというか受け入れたので。できない人がいても仕方ない。自分と理想の異なる人がいても、それが大多数でも(大多数の場合、むしろダメなのは自分の方だが…)仕方ない。)

あとは単純に報復が怖くなったのもある。話が通じないタイプと衝突すると、時に命の危険があるから…。自分の理想は、そういう万難を廃して、挙句その代償を支払ってまで実現すべきものなのかと。代償に自身の生命をかけてまで実現すべきものなのかと。憂いなく生きるために、正しい世界、心地よい世界を求めているんじゃないのか、それが今後心配しながら生きることになるなら、理想どおりの世界が実現できなくてもやむなしというかどこかしらで妥協する必要があるなと。
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