ショートショートの日常☆く-ねるtokoroすみdokoro

日記・雑文
文章の無断転載は固くお断りします。

いつもの日記

2009年03月11日 | 日記
お天気、いまのところうす曇でしょうか。
明日は、またまた出かけなければならないので、今日中に片付けることは片付けておかないと。
頑張りすぎて肩がコリコリになると困るので、そこは自分自身の身体と相談しながら。


土曜日に見たドラマ「白洲次郎」

2009年03月09日 | 日記
 楽しみにしているドラマの話なんだけれど、見てよかったな、「白洲次郎」

 

 吉田茂が戦争に反対する立場、考えだったことは何かで読んだ記憶があるんだけれど

 憲兵隊に連行されたことまでは知らなかった。

 自分の中では吉田茂という人物、大物政治家という印象がある。

 亡くなった時、戦後初めての国葬であったということで、子供だった私はそういう印象を

 持ったんでしょう。

お知らせ

2009年03月05日 | 日記
他サイトで過去に更新したものを引越し作業中です。

どっこいしょ(笑)
   






つぶやきショート『昔々、そのむかし~山里の記憶2』

2009年03月05日 | つぶやきショート
つぶやきショート
『昔々、そのむかし
     ~山里の記憶2』



 昔々、そのむかし、山里に向かうには二つのルートがあった。

 そのひとつが最寄りの駅から山道を登るルート。

 道の傾斜がどのくらいだったか、どのくらいの時間をかけて登ったのか、細かい

 記憶はない。

 ただ上りの山道は、心躍らせていたことは間違いない。

 祖父母と過せる楽しみと、畑から取れた新鮮な野菜を食べ清らかな湧水を飲む

 ことが出来る贅沢な時間が待っている。

 上り坂の傾斜がどのくらいであろうと、その途中で蛇に出くわそうと、はやる子供

 の気持ちは、「山之神」に背中を押されたように急ぎ足となる。

 最寄りの駅まで迎えに来てくれるのは叔父や叔母だったり或る時は祖父母であっ

 た。その山道を知り尽くし暮らしの中で足腰を鍛えた大人であったが、そんな大人

 に歩調を合わせることも苦痛ではなかった。

 ひとしきり山道を上りつめ峠に差し掛かると、視界が開ける。

 そこから先は私有地になるのか、幹の太い木の枝にブランコが作られていたことを

 思い出す。

 私有地に入ると道幅は狭くなり、そこで出くわしたのが蛇。 季節は夏。

 小路の傍らの草むらに、鮮やかな黄色と赤色をした生き物が見えた。確かにそれは

 生き物だった。あれは、草の陰でひっそり咲く山野草ではなかった。

 ちらりと視界に入った生き物がいたことが気になっていたが、其のときは黙って

 その場を通り過ごし、母の里に着くなりその生き物の話をした。

 山道を一緒に歩いて来た大人は、何食わぬ顔でそれはマムシだと言う。

 マムシは毒蛇であるということは承知していたので、ちょっと身体が固まった。

 数十センチか1メートルも離れていない草むらに、そんな怖い生き物がいたのかと

 思うと、山里の自然の中で暮らす祖父母たちの逞しさを子供なりに受け止めていた

 だろう。 自分の中にその血がながれていることを誇らしく思う。

 母屋は萱葺き。 囲炉裏端で食事をする。

 夏休みに過ごすときには、採れたてのトウモロコシをほうばることがご馳走。

 敷地内に自生しているフキも食卓に並んだ。

 何よりも私が楽しみにしていたのは、台所で火を起こすこと。

 祖母に教えられて、竹筒でかまどの火を起こす。

 苦手だったのは、用を足すときの恐ろしきトイレ。子供の私にはマムシよりも恐ろ

 しき場所だっただろうか。

 冬休みにその萱葺きの家で過ごした時には、どうしても恐ろしきトイレに向かう

 ことが出来ず、躊躇わず縁側から新雪の上に裸足で向かったこともある。 

 恥ずかしながら。

 昔々そのむかし、好奇心満載であった子供の心と、そのくせ怖がりな子供の心が上

 手く同居していた頃だった。

 山里から自宅のある町へと向かう為に下った山道では、「山之神」に後ろ髪を引かれ

 たことを憶えている。

つぶやきショート『昔々、そのむかし~山里の記憶1』

2009年03月05日 | つぶやきショート
つぶやきショート

『昔々、そのむかし
     ~山里の記憶1』




 昔々、そのむかし、小学生の履く靴をスニーカーとは呼ばずに「運動靴」と読んで

 いた頃の出来ごと。 そういえば、水泳の平泳ぎを一方で「カエル泳ぎ」とも呼んで

 いた頃だった。

 母方の祖母が亡くなったと報せを受け、母の生家のある山里に急ぎ向かった。

 祖母の安らかな亡骸に対面し、通夜も葬儀も埋葬も無事に済ませた夜のことだった

 と思う。

 「提灯」の中に点した蝋燭の明りを唯一の頼みとして、月もなく星もない山道を歩く

 羽目になった。

 拠所にするのはその提灯の明りのみという心もとなさのなか、叔母に連れられた私は

 「どこやら」に向かって歩いていた。 「どこやら」が何処であったのか、何用でそこ

 へ向かっていたのか、それは記憶の中で蘇らない。 

 当時、その山里の道には街灯さえない。

 実はそんなふうに夜道を歩くその前に、小学生の私は大人たちから妙な話を聞いてし

 まった。 集落の一画にある墓地の方向で、人魂がとんでいたと言う。

 好奇心と少しの恐怖が交錯しながらも、黙って大人たちの会話を聞いていたことは憶

 えている。

 町で暮らす私は、少々生意気になり始めた頃。そんな私を少し怖がらせるために、大人

 が面白半分に人魂の話を聞かせたのだろうか。 

 祖母の葬儀を済ませたその夜の筈だが、だとすればドンピシャリ、恐怖のツボを押され

 る話である。しかし、人魂なんて怪談話に出てくるだけと斜に構えながら大人たちの

 話に耳を傾けていたかもしれない。

 まさかそんな話を聞いたそのあとに、山里の暗い夜道を歩くことになろうとは、予想も

 していなかった。

 心中は穏やかでない。

 私の履いていた靴は、昨今のスニーカーのように靴底にしっかりと厚みのあるもので

 なく、薄底の運動靴。その薄い靴底を介して足裏に伝わる山道の土の感触。それは、都会

 のアスファルトや砂利道よりも柔らかく優しい筈である。なのに、其のとき踏みしめる

 毎に足裏に伝わる感触は、何だったんだろう。 いや、土の感触を確かめる余裕さえな

 かったというほうが、正しいのかもしれない。

 ほんのりと行く先を照らす提灯明り以外の周囲の様子は、黒を黒で塗り固め、その上に

 又黒い色を重ねたような『深黒』そのものである。

 提灯を手にして私の足元を照らしてくれた叔母は確かに傍らにいるが、その大人の

 存在さえ頼り無く感じる程であった。

 山里の深い闇の威力に、唯一の提灯明りさえ吸い込まれるのではないかと思うほど、

 小学生の私には凄まじい闇の迫り方だったのだろう。

 その頃は「ブラックホール」という言葉もその意味も知らなかった筈だが、今思えば、

 その中に迷い込んだような怖さだったのか。

 上手く言えない。

 それとも私の記憶の引出しの中で、祖母を失った哀しさと山里で経験した深黒の闇が

 絡まって離れないだけだろうか。

 昔々そのむかし、月もなく星もない、山里の夜の記憶。