灰羽連盟草稿3:冗長、共感、終わり

2011-01-24 18:36:09 | 灰羽連盟

草稿1:生活、求道、宗教」、「草稿2:非自明な世界」に続く記事であり、これで草稿もようやく決着となる(前回からは一月以上も経過してしまったが、そのあたりの事情は「合目的的」でも触れたように「クラモ理論編」が予想外に難産だったことが関係している。まあそれもようやく完成したのでこうして草稿が日の目を見ることとなったわけだが)。なお、以下の内容は二つのフェータルなミスを犯している。一つは、表題にもあるように話が冗長なこと。そしてもう一つは、「共感」や「感情移入」を否定的に書いていることだ。ではそれがなぜ問題なのか、実際に草稿を見ながら説明していきたい。

 

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灰羽について論じる前に、補助線として私たちの世界(の偶然性)について書いておきたい。なぜ私は私なのか、なぜその法則であってあの法則ではないのか。なぜ死ぬのか。「そうなっているから」として答えられない=偶然性。あるいは「巣立ち」に引き付けて言うなら、例えばペットが死んだ時に「なぜ、他でもないこの犬が今死ぬのか」と問うたら、誰も答えるコトができない。出会いの偶然性→「運命じゃない人」。とはいえ、それをそのまま強調されても、「なんか難しいこと言いよるね~」かせいぜいロマンチシズムと受け取られるだけで、気付き(驚き)にはつながらない(☆説教臭い)。→Ready to dieを笑う理由。そんな風にしてメメントモリなんて言ってもネタにされるだけ[単に戦争反対を叫んでるヤツと同じ]。
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見てもらえばわかる通り、単純にウザい内容であるwもう少しマジメに言うと、こんな書き方じゃ人に伝わらんので、揶揄しているReady to dieと五十歩百歩だという話だ(「明日、君がいない」のレビューで述べた表現方法の話題と連動する)。これは単に技術的な問題ではない。「論理によらずに納得を生み出す方法が秀逸」なのが灰羽連盟の実存の描写が受け入れられた要点だと主張(=内容)しているにもかかわらず、肝心の説明の仕方(=形式)がそれを裏切ってしまっているという戦略的なミスでもあるのだ。まあそういうわけで、仮に妥当な内容だと思っても「だからナニ?」というふうにしかならないだろう(=気付きにはつながらない)。そういう事情で、完成稿においては完全に削除した次第。ほいじゃ次。

 

 

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☆記憶喪失になった人間がようやく生活になじみ始めた頃に自分より年下の子が死ぬ。自分も近いうちに・・・[先に触れた死の偶然性とリンク]?→[ラッカの]クウへの反応に不自然さを感じない理由A→(a)気が弱い、感受性が強すぎる[=元々のキャラクター]、(b)灰羽になって日が浅く、自我が安定していない、(c)自分より下の子が巣立った。今の世界の成り立ちが自明でなく、成り立ちもわからないのなら、不安になって当然。灰羽の生まれ方。記憶はない、いつ消えるかわからない、認識能力はある→不安になって当然。そこまでラッカを始めとする灰羽たちの不安や苦悩の理解可能性を強調するなら、もう「共感」や「感情移入」(同一化)の言葉を使ってしまえばいーじゃん→NO。なぜならオレにとっては極めて論理的な問題だから。[彼女たちと文脈の違う]オレはただ、その心情を想像するだけだ。
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まず最初に言っておくと、「クウへの反応に不自然さを感じない」というのは言いすぎ。クウとラッカの絡みの描写が少ないため、理屈ではわかっても納得をもたらしうるかは極めて疑わしいからだ。まあそれは瑣末な問題として・・・ここで重要なのは「共感」の否定である。前掲の完成稿でも「共感」・「感情移入」の視点を取り上げてその全面化を否定したが、正直これは完全に失敗だったと思っている。というのは、「共感」や「感情移入」、つまり我々との共通性を否定しつつ文脈の違いによる他者性を強調しているため、灰羽たちの実存の苦悩に一般性があるように語りながら、一方でそれを否定する矛盾した論じ方に見えるからだ。

一応それは理解していたので「共感」や「感情移入」を「同一化」と明確に定義していたし、また「『共感』の問題点」でも書いたように「一度自分の思考の前提に立ち返り、相手の境遇や思考・行動について思いを巡らした時、いかに自分本位にしかものを考えられないかに気付いて愕然とする経験こそが重要だ」と私は考えているので、多少の違和感は織り込み済みだった。

しかし今では、これが重大なミスだったと反省している。私はあくまで「自然な共感」といった言説の影響(誤配)を問題視しているのであって、共通点があると感じたり親近感を覚えたりすること自体を否定したいわけではないが、この論じ方では私が後者の立場に立っていると読者に誤解を与えてしまうことは避けられない。ゆえに、後の「自分たちもまたそうなるであろうという納得が得られる作りになっている」という部分と齟齬をきたしている(ように見えてしまう)のである。いったん「共感」や「感情移入」に触れることなく灰羽連盟の記事を書き、その上で「共感」の視点から見ると・・・という具合に記事を分けるべきだったと言える。

ついでに言っておくと、「自分の文脈に依存して考えざるをえない」というのは特にこの価値観の多様化した現在では当たり前だと思われるだろう。しかし「君が望む永遠」の記事で述べたように、私はその「当たり前」を口先だけのものとして全く信用していない(→「フラグメント105:二次創作、同調圧力」)。このあたりの文脈依存的思考・視点については近いうちに「日本的想像力の未来」(仮題)で触れることになるだろう。

 

 

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(結論)〇世界の描き方 〇灰羽の設定

様々なイミで何らかの世界観を押し付けられるのではないため、登場人物たちの行動にイワカンがない。自分たちもまたそうなるであろうという納得が得られる作りになっている。これこそ、実存の描写テーマが「青臭い」とならずされずにきちんと受け入れられている最大の要因だと考えられるのである(そしてまた、灰羽の世界の構造についての考察記事を書こうとしない理由)
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こんな具合にして、長い間灰羽連盟の記事を書いてこなかった理由を説明すると同時に、これ以上付け加えるべきことはない(もう書かない)ということでキレイに終わる予定だったが、まあプランは完全に頓挫いたしましたよとwとはいえ、灰羽連盟のテーマが違和感なく受容された要因についてはほぼ述べきったのではないかと思う。あとは最後に覚書3の続きを掲載して灰羽連盟の再考を締めくくることにしたいと思う。


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