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2014-06-30 12:30:13 | 抽象的話題

GWの帰省最終日、旧友しおみとファミレスで長時間だべっていたが、翌日早朝に飛行機で東京へ帰ったため、内容をまとめる時間がなかった。そのままニヶ月も経ってしまったが、とりあえず箇条書きの形で今のうちに記録だけ残しておきたいと思う。そこで話したことはゲームや「属性」(エロネタ)、記憶などに関してだが、ここではブログの書き方を扱うことにする。

 

・「フラグメント」の位置付け
このブログのカテゴリーの一つである「フラグメント」が、そもそもコメントを期待した類のものではないと以前に書いた。というのは、元々携帯のメモ書きだったものを集めたためかなり説明不足で唐突な部分が多いからだ。にもかかわらずそれを書くのは、3年以上の時間差が生じているので、昔話題にしていた題材がどんなものであったかを示すだけでなく、現在の話題の文脈の構築、備忘録的な役割、話題にしなかったことの提示といった役割を担わせることができるからだ(またその内容から、思考・記事が直線的に構築されているわけではないこともつぶさにわかるであろう)。また様々な話題を含むケースが多いため、いくつかの覚書きを並べるだけでも様々な記事に対するハブの機能を果たしもするのである。ところで、ここで私が少し不思議に思うことがあるとすれば、少なくとも管見の限りで、一つ一つの記事をアーカイブ、あるいはややセンセーショナルな言い方をするならば「捨て駒」として利用する意識を持っている人がどうも少ないらしいということだ。たとえば風俗の記事一つとっても、体験ルポ的(てのは大げさかw)な意味合いもあれば、自分のコミュニケーションのあり方を示す狙いもあるし、あるいはそこで話題に挙げたことが過去ログと繋がっていたり、未だ話題にしていない作品(たとえば映画の「きっと、うまくいく」など)に触れる機会にもなっている。要するにただ単なる事実の記録ではなく(というより、100%の客観=無謬の視点が存在しない以上、「そんなものはありえない」)、様々な目的のもとに書かれているわけである。しかしこのような方向性を話したとしても、意外な反応こそすれ当然だという人間は皆無なのである。うーん、なんかあんまし合目的的とかって考えずにみんな書いてんのかね?まあ褐色好きとかの「属性」ネタが交換可能性の話になって「純愛」や「承認」の話に連なるとか言ってもフツーはギャグにしか聞こえねーか(・∀・)それに隣県のことをよく調べもせずに「旅行」するのは、その行き当たりばったりぶりがオカシイってことだけではなく、未規定なものに出会うことが世界のリフレーミングに繋がるのがおもしろい、という話にもなるとか書いても、まあそれ自体がなんかラリってる感じですよねえヽ(。∀゜)ノまあクソ真面目に書く事でラリった感を出すのは筒井大先生の「敵」とか参照できるものもあるわけですがね。

 

・膨大な記事を分割しない理由
これだけの分量になってもブログを分割しないのは、分割という行為自体が「フィルター」あるいはノイズ排除であって、仮にその環境でしばしば話題にしている物事の複雑性・多面性を指摘しノイズ排除・多面性を批判したとしても、パフォーマティブに矛盾していると感じるからだ。なるほど3000を超える記事の数を見た瞬間、それに多くの人が苦笑しあるいは唖然することは想像に難くないが(少なくとも俺が他者のブログを見たならそう考える)、人の複雑さに向き合うとはそういうことであり、「だったら余計な要素は排除してわかりやすくまとめてほしい」という自然に沸き起こってくる気持ちの行き着く先の一つがノイズ排除であり、より具体的には「キャラ的人間関係」や「調和と地雷」だったりするわけだ(まあこれは表現する側の努力の問題もあるわけで、レセプターの側に問題を限定しすぎではあるが)。そのような構造的必然性を意識することなしに、先のキャラ的人間関係などを批判しても無意味だろう。疑問を呈したとしても、結局自分も同じことをやるようになる、という理由で。

 

・会話とブログ 
前述のような表現方法を実際の会話では採用しない。ブログと違って時間の共有という問題があるので、自分の事をあーでもねーこーでもねーとぺらぺら自慰織だだ漏れな感じで話す(話される)のは興味のない宗教の勧誘より数千倍迷惑なものだからだ。ブログは好きな時に見れるし、ある時貼られているリンクに飛んでみたり単語で検索してみたりということができるため、さっき言ったような手法が成立しうるのである(これは自分自身が時間に縛られるのが嫌で、テレビ番組を見ないし映画館にも行かないといった自分の行動様式も関係しているように思われるが)。ついでに言っておくと、今書いているようなことを会話で話すこともしない。というのもそれは(理由説明ではなく)自慢か何かのように受け取られるため、目的を達せられないからだ。そういうわけで、この手の話はしても無駄だとか誤解されるだけだと刈り込んでいく結果、当然だが会話などで表面化するのはかなり限定された部分だけになる。まあ至極当たり前の話ではあるのだが、こういうことを意識すれば、友人や知り合いが仮に突然自殺したように感じられたとしても、それはごくごく当然の現象と考えることができる。それでもその感情が消えないのなら、「一体お前はその人の何を知っていたというのか?」と己に問うて見ればいいのだ(まあそれでも、他者との溝や世界の未規定性を真の意味で理解するのはおそろしく困難だとは思われるのだけど)。まあとりあえず現状掲載している記事の倍(=7000程度)は書く事がありそうだと考える私からすれば。

 

といったことを少し喋っていたわけである。
ちなみに前述の複雑性・多面性の例として、「子供は天使じゃない」といった記事を書きながら、子供や猫など「かわいい」ものが好きだという記事も同時に書いていることなどが挙げられる。これは要するに「嫌いだから批判しているだけじゃないの?」という反応(カテゴライズ・無害化)に対する予防線の意味合いがあるが、一方でこれを「夜と霧」や「ヒトラー最期の12日間」に関する記事を組み合わせると、アーレントの「凡庸なる悪」へと話題を繋げることもできる。では次回、「凶悪」という映画を題材にしながらそれについて書いていくことにしよう。

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-06-30 13:54:58
あれから2ヶ月経ったか・・・(^_^;)

前から思ってたが、藤田氏のように、ブログを日記や備忘録のように使う方法もあるんだよなー(^^)

個人的には、新しい視点だったよ♪今までブログは「お勧めのうまい店」とか「今日あった出来事」とかを書くというイメージが強かった(^_^;)

あ、でもある意味で「うまい店」は割と話題になってるな(エロい意味で)
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Unknown (69)
2014-07-02 01:29:35
申し訳ないが、本文をちゃんと読めてないようだのう(´ε ` )
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Unknown (Unknown)
2014-07-02 12:57:01
こちらこそすまん(´д`|||)
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