住まいと_環境・・・幸せへの道しるべとなりますように。

テーマー

 住まいと環境・・・健康である喜び・食生活を考へて、

 充実した生活を・道は近きにあり。

目標を変更して模索するものは・・・

2015-07-25 21:08:03 | 副業で稼ぐ

 2015/07/26

今朝の着信mailから、

お伝えいたします。

 

僕は今
インターネットのおかげで
手に余るお金を手に入れましたが
物欲そのものがそれほどなく
ただ在るのが生きる事への
前向きなメッセージなのです。

 

暴力で行使する戦争をするくらいなら
平和を望む想いは本心だし
インターネットから
流れてくる情報も含め
僕の目に映る人が泣いていて
生きる事に苦しんでいるなら
笑っていてほしいと、

望むのも本心です。

 

幸せだと感じられない原因や
幸せが崩れていく原因が
経済的不安定であるなら
それを力強く支えられる事業を
行ってもらいたいという想いも
紛れもなく真実です。


それを伝える為に今
取り組んでいる活動こそが
音楽家である事そのものと
芸術家である事そのものと
事業家である事そのものです。


ここで、
僕のバックボーンを
ご存知でない方に簡単に
僕が一体何者なのかを
お伝えしたいと思います。



僕は26歳まで
ミュージシャンでした。

 


18歳の頃から22歳までの
バンドが初めての本格的なバンド。
メンバーは幼なじみで、
全国リリースや全国ツアー等も
早い段階でこぎ着けました。

 

今や有名どころとなった
Aqua timesや
9mm parabellum bullet等と
スリーマンライヴを
したりしていましたが、
幼なじみとのバンドだったので
モチベーションに差が出てきた
段階で解散をすることにしました。


この時周りのバンドや
自分のバンドのメンバーを見て
学んだのが、バイトなんかしてたら
音楽が時間的にも金銭的にも
思う様に出来なくなってしまい
本末転倒だということと
バンドにはブランディングが
必要不可欠であって、
その為のデザイン制作の技術や
構造がバンド内にある事が
最も望ましい姿だということ。



そしてデザインを学び始めました。

 

 

美大も専門もアートスクールにも通わずに
フルスピードで成り上がったデザイナーの
スタートはここから始まりました。

 

そして22歳の時、
新たにバンドを組みました。

 

デザインも独立を前提に
1年間の修行にでました。

 

 

とんでもなくハードな
一部上場企業である広告代理店へ。

 

記憶がなくなるほど
忙しい毎日でしたが、
死ぬ程頑張りました。

 

そして
デザイナーとして独立しました。
23歳のときです。

 

今インターネットを活用して
デザイン事業をしているので
WEBデザイナーだと思われがちなのですが
僕は元々グラフィックデザイナーです。

 

紙の需要からウェブへ、
需要が移行してきたので、
WEBにも参入したのが、
最初の始まりです。



いまや映像事業も本格化しているので
クリエイティブ業界の移行そのままに
事業拡大している感じですね。


話を戻します。


独立と時を同じくして
アニメーターとタッグを組んで
主題歌を提供した作品が話題になり
第15回 文化庁メディア芸術祭、
新国際ニコニコ映画祭等
あらゆる映画祭にて受賞経験を
持つ事が出来ました。



これで火がつき
この動画と僕らの音楽は
累計300万再生を記録しました。

 

 

想像以上の反響でやむを得ず
ミニアルバムを全国リリースし
ラジオ、カラオケ、一部テレビ放送等で
注目株となりました。

 

その頃ツアーやライヴ活動等で
懇意に活動を共にしていた
「SEKAI NO OWARI(当時は"世界の終わり"表記)」や
「back number」「グッドモーニングアメリカ」は
今や日本を代表する若手アーティストとなりました。


と、順風満帆に
聞こえるかもしれませんが
デザイナーとしての独立当初
これで音楽の為の時間もお金も
デザイン事業で効率良く稼げると
大風呂敷を広げて事業主として
静かなスタートをきっていたのですが


当然、そんなに簡単に
上手くいくはずもなく
すぐに借金まみれになりました。

 

450万くらいですね。


焦るのが遅かったのですが
仕事がないので下請けをしました。

 

しかし下請けなので
死ぬ程忙しかった修業時代と
なんら変わらない稼ぎなのに
経理や事務処理が増えた分
時間的にも金銭的にも状況は悪化するばかりで
独立から半年程で倒れてしまいました。


今振り返ると情けないですね。
でも必死でした。


それでもバイトなんてしようもんなら
今の挑戦が無駄になると思って、
僕は新たな方法論で挑戦を続けました。


そこから快進撃が始まりました。
少しずつ業績が回復していきました。


どんな風に復活劇を遂げたのかは
今までやってきたセミナー等でも話していて
そのビデオもちゃんとアーカイブがあるので
後々ご案内します。


業績が復活すると同時に
僕の評価も上がっていきました。

 

amanaイメージズ共催の
グラフィックアートコンテストにて
グランプリを受賞したり
大手アパレルAndAの
カットソーアートも手がけました。

 

 

独自性あるアートが評判を呼び
依頼が殺到し始めました。

 

守秘義務がある為企業名は出せませんが
その後は大手企業のデザイン依頼が
止まなくなりました。


ようやく音楽をする人間として
大前提となるスタイルが整い始めた中で
余裕が生まれた僕の思考の中には、
「音楽を自由(無料&共有)にしたい」という
強い想いは拭ず膨らみ始めました。

 

何故なら僕は、音楽は
聖書であると考えているからです。

 

メロディにのせて綴られた言葉は
新たな価値観を提示します。

 

 

共感者はその楽曲に綴られた言葉によって
救われたりします。その逆もまた然りです。


それでも、
音楽そのものに課金をするスタイルが
音楽が望む姿であるとは思えなかったのです。


だからこそいささか強引にメンバーの承諾を受け
「FREE MUSIC, FREE SHARE」プロジェクトを
決行し音楽そのものを商業のベースにする事をやめました。

 

プロジェクトのキャンペーンで
順調にファンを獲得はしていったものの
資金不足で思う様なクオリティを実現できないまま
想いだけがつのり、次第にメンバー間の心も
すれ違っていきました。


「本来の音楽の姿・在り方」を追求したい僕と
「バンドで名をあげたい」メンバー。

 

 

すれ違いは解散という終焉を引き寄せる事となりました。


この解散直前に出逢ったのが
インターネットビジネスです。

 

これまではずっとリアルビジネスで
実業としてデザイン事業をしてきた僕ですが
インターネットの可能性をここで見ました。


初めてそのスキームや
システムを知ったときは
感動で胸が奮えました。


僕が一生懸命に創ってきた
リアルコミュニケーションを
自動化したりレバレッジをかけたり
する事ができると知ったからです。

 

 

其れでは亦・・・

 

 

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