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住宅床材のタタミ・・・

2018-06-20 02:22:19 | 副業で稼ぐ

 

2018・06・20

 

畳の歴史
奈良時代(710~794)、
現存する畳の古いものは、奈良東大寺の、
北西にある正倉院に、
聖武天皇が使用された、
「御床畳」(ごしょうのたたみ)、
と言うのがあり、
木製の台の上に置かれ、
寝台として使われたものである。

 


これは現在の畳と同じように、
真薦(マコモ)を、
編んだ筵のようなものを、
5~6枚重ねて床として、
表にイ草のコモをかぶせて、
錦の縁をつけたものである。

 


この台を二つ並べて、ベッドとしていた、
(2370×1190×385mm)、
平安時代(794~1192)、
この時代に入って、
貴族の邸宅が寝殿造の、
建築様式・・、
(寝殿造(しんでんづくり)は、
平安時代の都の、
高位貴族住宅の様式。

 


寝殿(正殿)と、呼ばれる中心的な、
建物が南の庭に面して建てられ、
庭には太鼓橋のかかった、
池(遣り水)があり、
東西に対屋(たいのや)と呼ばれる、
付属的な建物を配し、
それらを渡殿(わたどの)でつなぎ、
更に東西の対屋から渡殿を南に出して、
その先に釣殿(つりどの)を設けた)。

 


となると、板敷の間に座具や寝具などとして、
畳が所々に置かれるようになった、
この置き畳として使われている様子は、
絵巻物等に描かれている。

 


そして使う人の位によって畳の厚さや、
縁についての規定があり、
その種類によって、
使う人も決まっていたのである。

 


京都御所の清涼殿は、
寝殿造を今に伝える建物として、
知られているがここに使われている畳は、
平安時代の、
古い制度を残している。

 


「夜御殿」(よんのおとど)は、
天皇の寝室で部屋の中央に、
繧繝縁(うんげんべり)の、
厚畳二枚を敷きその上に、
さらに一枚置いてそのまわりを、
大宋屏風(たいそうびようぶ)で、
囲ってある。

 


(230 ×835×90)、
「昼御座」(ひのござ)は、
繧繝縁の厚畳二枚を、
並べて敷き、上に御茵(おしとねしきもの)が、
置かれ、儀式のときだけ、
御座されたと、
言われています。

 


(1915×950×95)、
鎌倉時代(1192)~室町時代、
(1338)~江戸時代(1603)、
やがて鎌倉時代から、室町時代にかけて、
書院造(日本の室町時代から、
近世初頭にかけて成立した、
住宅の様式である)が、
完成される。

 


この頃になると、部屋の周囲に畳を敷き、
真ん中を残す使い方から、
部屋全体に畳を敷きつめる使い方に、
なった。

 


それまでの客をもてなす、
座具であった畳が建物の床材に、
なり始めてゆきます、
こうした贅沢な使い方が出来るのは、
貴族でも一部で、
富の象徴であったようです。

 


畳が貴族階級に普及し始めると、
今度は畳縁の文様によって座る人の、
階級を規定したのである、
それは「海人藻芥」(あまのもくず)、
(1420)に使用規定が記されている。

 


天皇は当時でも、
貴重な最高の織物である、
繧繝錦の繧繝縁が用いられ、
又神仏の前に座る半畳にも、
繧繝縁が使われた。

 


ついで親王や大臣は、
大紋の高麗縁、
公卿には小紋の高麗縁で、
僧正や僧侶や四位、五位の人は紫縁、
六位の侍、
寺社を統領する三種の役僧は、
黄縁を使うように、
定められていた。

 


この頃になると布団と、
畳の役割が分かれ、
小さな部屋割りに
畳を敷きつめるようになる。

 


桃山時代(1573~1603)から、
江戸時代へと移るにしたがい、
書院造は茶道の発達によって軽快な、
書院造それは本格的な、
格式ばったものではなく、
茶室の工夫や手法を取り入れた、
数寄屋風の、
書院造になっていきました。

 


茶室建築から畳はやがて、
町人の家に引き継がれてゆき、
畳が一般庶民の、
ものとなったのは、
江戸中期以降のことであり、
農村においてはさらに遅く、
明治時代になってからである。
「起きて半畳、寝て一畳」
「千畳敷に寝ても一畳」
「畳の上の水練」、
理論や方法を知っているだけで、
実際の役には、
立たないことのたとえ。

 


「新しい畳でも叩けば埃がでる」
「女房と畳は新しい方がよい」
このような故事が生まれるほど、
一般に普及したのである。

 


この頃長屋では、
畳は長屋を借りる店子が運び込んで、
使ったと言われており、
大家が用意して、
おくものではなかった。

 


それだけに畳の手入れをして、
長持ちさせる知恵を、
身につけていた、
畳み干しをこまめにして、
傷むのを防ぎ表がやけたら裏返しをして、
使っていた。

 


こうした習慣は戦後まで続いたが、
過密化した最近の都市では、
干す場所もなく、家具も多くなって、
畳を上げるのが面倒になり、
姿を消しつつあるのである。

 


其れでは亦・・・

 


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■愛・・・称 【青年の乃呟(つぶや)き】
■発・行・者  御料地(ごりょうち)の僕
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