YouTubeで、時の人にもなったスーザン・ボイルさんは、今、いろいろなところで活躍されているようです。それはそれで、大変結構なことだと思うのですが、この問題を扱っているメディアの方々には、できれば少し考えていただきたいと思います。
スーザン・ボイルさんの話を、シンデレラストーリーのような美談として扱うのは良いですが、才能があるのに、機会に恵まれていないスーザン・ボイルさんと同じような人々が、世界には無数に存在しているであろうことも忘れてはならないでしょう。そして、そういう人々が無数に存在してしまうのは、今のメディアが、きちんとそういう人々の才能を拾えていないからだという、メディアの方々の真剣な自省があってもいいように考えます。それは、メディアシステム全体の仕組みに関わる問題で、特定の個人が背負うべきものではありません。また自省というのは、あくまでも、その本人が気付いて行うものなので、私ごときが強要するようなことではありません。
ただ、美談は美談として語りつつも、その裏側に無数に潜んでいる同質の見えないものを感じ取ることは、極めて大切だと思います。残念ながら、少なくとも私が知る限りにおいて、メディアの方々が、スーザン・ボイルさんの美談を語っても、そうした美談を生み出してしまっている(才能を拾えていなかった)メディアとしての問題、彼女と同じような境遇の人々が、現在もたくさんいてしまっているであろうことの問題について、自らを見つめ直すような発言がなかったように思います。
もちろん、それでもスーザン・ボイルさんの良さに気付いた時点で、それをきちんと拾い上げているという意味で、メディアが機能しているということは間違いありません。そこについて評価をせずに、一方的な言い方をするのも良くないと思います。ただ、それでもやはり、物事の二面性を考えた場合、今のメディアのスタンスは、そのバランスがあまり良いとは感じないのです。
非常に単純な話ですが、才能に満ち溢れていて、それを活かしたいと思っている、過去のスーザン・ボイルさんのような境遇の人々は、本当にたくさんいらっしゃると思います。そして、その方々は、きっと見えないところで叫び続けているのではないかと思うのです。私としては、そんな「魂の叫び」とでも言うべき方々の思いを背負うことができ、それに応えた行動をとっていくことが、これからの新しい時代の仕組みにおいて、とても大切なのではないかと思うのです。
《おまけ》
ここで述べていることは、私がメディアの問題全体を通じて、繰り返し述べていることでもありますが、この問題の解決は、格差社会の是正に繋がっていくものと考えています。特に、私の場合、こうした考え方をいわゆるメディアシステムにのみ適用しようというのではなく、広く産業インフラともなり得るコンピューターに入れ込んでいくことを想定しています。このことによって、広く経済活動をされている方々に対して、たくさんの機会を提供することが可能となり、結果として、格差社会の是正に貢献できるものと思うのです。ちょっと面倒くさい話と思われるかもしれませんが、要は、見えない人々の気持ちを汲み取っていくということ、それに基づいた行動を取っていというくことが、とても大切なのではないかということです。
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